手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

おしゃべり・・・3のつつき

2021-02-11 19:03:43 | 無題

 昨日書いた「おしゃべり」スキーのつづきです。小学校時代発電所の水槽の山といわれる今行ってみるとちょっとした丘でしかないけれど、子供にはいいスキー場で、回転を楽しむのではなく、ただ直滑降を楽しむスキーをしていた。スキーもストックも、まともなものはなく、古い単板のスキーての楽しみでした。昭和22年だと思うけれど、軍隊のスキーが出回って、私の家でも一式手に入れた。スキーの楽しみだけ知っていて、第三師範の本科に入学した時にスキー部に入ったのでした。その結果は昨日書いた通りなのですが、そのころ旭川の第三師範はインターハイのスキー大会で一部に入っていました。先輩に菊池さんという方がおられ、長距離、複合などでて得点をして一部に残っていたのです。自分の力も知らないまま、入ったものの継続することができなかった。この時、技術指導をしてくれる先輩でもいればよかったのですが、そんな方にも出合うことなく、ただ勝手に滑ることだけでした。それでも同期会などに出るとスキー部に所属していたと認識されたりもしました。沼田高校に努めるようになってスキーを復活したのですが、一度も指導を受けたことがなく、知らない間にスキー教室などが出来、スキーの指導要領までできていたのです。初めて指導員になっていた同期の方から、ウエデルンの技術を知らされ、愕然としました。又、スラロームの理論も全く無視して滑っている自分をしりました。美唄東に転勤して、初めて講習会に出て、二年目にようやく1級の資格を取得したのでした。講習を受けて、その必要性を実感しました。そのころ同僚の先生方にもスキーを楽しむ方が多くなり、年末にはニセコ比羅夫へ一泊のスキー旅行を毎年やっていました。基礎スキーと競技スキーは別物です。競技スキーは競技で鍛えなければ、わからない実践の厳しさがあります。どの競技でも同じだとおもいますが、頭で考える事と実践はかけ離れています。そんなことでしくじったこともいくつかあります。
 
コメント
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