手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

おしゃべり・・・稲苑大学13期でした

2021-02-15 19:38:10 | 無題

 手稲の老人大学です。勉強・・・生涯学習の一環です。この大学の2期に詩吟の仲間(剣風会手稲)西田さんが入会し、20名ほどをまとめて剣風会稲苑道場を立ち上げ、稲苑大学の会場になっていた手稲コミュニティセンターの会場を使用料減免で使わせてもらい活動を始めていた。彼は当時手稲文化協会の副会長もやり、地元の町内会長などもやるとても行動的な方でした。そんな活動をされている中で、手稲老人福祉センターが開設され、私が詩吟講座の講師となり活動を始めました。それを知り彼は、福祉センターの館長に詩吟講座の講師を半年交代にしたらどうだと話を持ちかけました。そのあと館長から相談があって知ったのですが、私は半年は短かすぎます、一年交代でいいのではないですかと答えました。それで一年で交代になると覚悟を決めていたのですが、その話が受講生にどこからか漏れて、受講生の中から村川先生をやめさせないでほしいと館長に申し入れがあったのだそうです。そんなことで結局昨年の一月まで私が講師をつづけることになったのです。しかし、稲苑大学大学に行き、そこで詩吟のお弟子さんを見つけるのはすごく魅力的なことでした。それで、12期に応募しました。その時、町内会の私は副会長をしており、会長の若林さんに一緒に入ろうと誘いました。ところが、応募者が多く抽選になり、若林さんが合格、私は次年度送りになりました。結局私は13期の稲苑大学大学卒業生になったのです。ところがこの13期は私の思惑、詩吟のお弟子さんを見つけるのには最悪の会だったのです。詩吟をやっている人も多く、私の教室の教場長、福祉センター講座受講生の世話役のトップの方、先に書いた剣風会手稲の西田さんたちの会の指導者の方まで来ていたのです。それでも強引に誘いを入れて男性2人を仲間に入れることが出來、更に9期の男性で「いの平」の仲間で観世流の謡曲を長いことやっていたのだけれど、肺気腫で札幌へ稽古に出向くことが厳しくなったので、謡曲を止め詩吟の仲間に入れてほしいと入ってくれたのが北出さんでした。結局稲苑大学大学で仲間に入ってもらったのは2人と北出さんの3人でした。ちなみに、西田先生の立ち上げた稲苑道場は西田さんが個人的な都合で手稲を去られ、そのあとを女性の先生が継いだのですが、教え切れず会が崩壊してしまいました。崩壊後、私が講師をしていた老人福祉センターの詩吟講座に10名くらいいらっしゃるようになり世話を見て上げました。 誘った方が落ちて、誘われた方が入った稲苑大学。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする