手稲のこの家に住み始めて53年になる。半世紀こえているのですね。家を建てた当時のことを書いている暇がない。
48歳でこの地に現在の家を建てて暮らしてきたのです。町内会にもいろいろ世話になりました。来たころの町内会長さんは星野さんで、車をお持ちでなくもっぱら自転車で走り回っておられた。私はこの歳まで町内会というものに全く縁がなかったのです。この地に住まうようになり、間もなく星野会長と知りあった。星野会長は自転車で毎日のように町内会を回り、外に出ている方がいれば立ち止まって話しをするような方で、町内会の全戸をご存じだったと思います。町内会の顔役のような佐々木徳松さん久木さんがいて、星野会長は佐々木徳松さんから名指しで指名され町内会長になったということでした。どういうわけか私は星野会長に気に入られていました。そのうち何年かして星野会長が突然入院ということになりました。その時副会長にさせられて、会長の入院している間、それまで見てきたとおりの形で役目を果たしまし。右も左もわからないままの副会長でした。一年で終わり、総会やれやれと思っていたら、役員選出のところで佐々木徳松さんが突然立ち上がり次の副会長は村川さんにやってもらいますというのです。全く考えても見ない氏名に面喰いました。そんな役員選出の時代だったということです。結局二年副会長をやりました。それから数年してある日の夕方若林さんがおいでになり、新年度から町内会長をやることになったが、私に副会長をやって助けてほしいというのです。副会長なら大分町内会にもなれているので引き受けました。その時、役員は同じくらいの年齢の方が多く、しかも酒好きで、仕事の仲間にもってこいでした。それまでいろいろ気にしていたことをどんどん改め、町内会の活動は面白いといってみんな出てくれるようにと頑張りました。
どうせやるなら、楽しい町内会にしていこうということで、今までやっていたことも、できるだけ楽しいものにするよう努力しました。夏休みの朝の体操にしても、役員全部が率先して出て、皆様を誘いにぎやかなものにしました。又、盆踊りなども、町内会の婦人部に頑張ってもらい、今までにない盆踊りらしい盆踊りにしてみたり、新年会も余興出演者を募集したり勧誘したりして、盛り上げました。とにかく二年の約束を4年続けてやってあげました。そのあと、会長になれと随分責められたのでが、私の本職は詩吟だったので、詩吟に影響の出る会長職は最後まで引き受けないで終わりました。