手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

おしゃべり・・・お酒

2021-02-13 19:18:08 | 無題

 お酒に絡む思いでは多い。しかし、私はお酒が好きだったとは言えない。たたお酒を飲むと、誰もがそうだと思うけれどついついおしゃべりになる。でも振り返ってみると、現役時代最初の赴任校沼田ではいい飲み相手の同僚がいて、ずいぶん居酒屋をはしごして歩いたものでした。ところが二校目の美唄では一かたまりの教員住宅に入ることになり、飲み仲間になってくれるような人もいなく宴会の酒を飲むくらいで、楽しい酒をあまり飲めなかった。ただ、M校長先生の時は、校長住宅に招かれおいしいお酒を飲まされた記憶がある。九州男児で剣道の達人、書も素晴らしく、いただいた漢詩の色紙と和歌の色紙は額に入れて今も私の部屋に飾ってある。15年いたのだけれど美唄の街にはなじみの酒場は一軒もなかった。
 最後が現在の住まい手稲になった。新設高校で設立三年目に赴任したのでしたが、同じ年に赴任した、F先生とT先生がとても付き合いの良い方で、お酒を楽しく飲まれる方でした。たまたまF先生は着任して暫く手稲に居を構えることになり、手稲でよい飲み屋さんを見つけて誘ってくれて一緒に遊ぶようになって手稲の街に馴染みの酒場が数軒出来て退職後何年かまで良く出掛けました。中でも「いの平」という居酒屋は生涯忘れることのできない楽しいお店でした。飲み仲間はとてもいい人ばかりで、男性のほとんどは私の詩吟の教室に入ってくれたりしました。ママは私たちより10歳くらい若かったのですが、手稲の老人大学のOBとして、皆様の世話もしてくれて飲み仲間の階層も嫌味がなく、独り手酌でも楽しめるいい店だったのですが、突然動脈瘤破裂でなくなり、そこから飲みに出歩くことはやめました。でも、「いの平」の思い出は酒の楽しさです。私は詩吟の教室を多い時は5教室持っていました。そして年に一度お客様をお招きして交歓吟詠会というものを開催してきました。その流れの中で、二次会をあるスナックを借り切って何年かやったことがあります。私の所属の流派の幹部の先生ほとんどと、岩見沢から毎年来てくれていた仲間も含め20数名の二次会をやったりしました。一昨年で終わりにしました。もう二次会を楽しむのには歳を取り過ぎてしまったのです。交歓吟詠もここで終止譜を打ちました。
 
コメント
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