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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

遮那王と弁慶

2009-02-08 | 演劇
 パラノイアエイジの公演「義経記異聞―遮那王と弁慶」を観た。すでに先月末のことであるが記録しておきたい。何せ、私はこの集団の座友に名を連ねているのだ。すでに舞台裏に隠棲して何年も経った身ではあるのだけれど・・・。
 作品は司馬遼太郎の原作「義経」を佐藤伸之が脚色・演出、義経は女だったという設定で物語を再構築し、美しい舞台を作り上げた。新宿モリエールにて1月28日から2月1日まで上演。

 思えば「勧進帳」である。面白くないわけがない。義経と弁慶をめぐる物語には日本人の心を熱くする要素がごった煮のように詰め込まれている。
 「勧進帳」は歌舞伎十八番の人気投票でも常にトップを争う人気演目である。
 今回の舞台でも、勧進帳読み上げ、富樫との山伏問答、義経と弁慶の主従の絆など、見所は外さずに盛り込まれている。
 古典には珍しいともいえる心理描写の見せ所が満載の作品でもあるのだが、佐藤氏の演出はそうした心理の掘り下げに拘泥しない。むしろ、一筆書きのようなスピード感で場面を次から次へと展開する。

 以前は、こうした演出手法について、場の掘り下げや劇の掘り下げが足りないのではないかと不満に思わないでもなかった。しかし今回は違った感想を持った、というか気がついたのだ。下手な心理描写などと現代的視点に囚われない、歴史的時間軸を駆け抜けるドラマトゥルギーの中にこそ美はひそんでいる。
 パラノイアエイジの舞台はあたかも絵巻物を繰り広げるように展開し、歴史のなかに「疾走する悲しみ」を表現することで、私たち観客の心を震わせるのだ。私は観客として、途中3回は涙に胸を熱くした。
 もう一つの美質は殺陣のシーンに顕われる。佐藤氏はあんなにまん丸な身体で舞踊のような美しさで殺陣を操り、集団を統率する。これは特筆すべき才能なのだ。狭い舞台に兵士たちが入り乱れるなか、長刀を華麗にふるう弁慶の舞は必見である。
 コアな劇団員と若い客演陣の演技力の差が目立つほどに集団の力は際立って感じるが、舞台は総合力で評価される。この落差はアンバランスでもある。これからの大きな課題だろう。
 北条政子を演じた秋葉千鶴子さんは静謐な深みと凄みをもった悪女という新境地を見せた。思わず彼女と一緒にマクベスを演じたいと感じたほどである。

 さて、今回の眼目は義経が女である、ということなのだが、そのことの意味については十全に表現しきれていないようにも感じた。
 弁慶の遮那王への純粋な愛情は、別に彼女が「彼」であったとしても同様に描かれたであろう、と思うのだ。この主従の関係はそうしたものだからだ。
 佐藤氏は倫理性の高い演出家だから性愛を想起させる描写は極力排除しているが、例の疑いを晴らすために金剛杖で遮那王を打ち据える有名なシーンなど、ほとんど私の妄想だけれど、相当に淫靡な被虐と加虐、愛憎のねじれた美の極致と映る。
 純粋なだけでなく、一筋縄ではいかない愛の表現があの場には潜んでいたはずなのだ。
 また、女であればこそ、兄頼朝との関係も違って見えたはずだし、政子が彼女に抱く感情もまた嫉妬という衣をまとい、異なる展開を見せたかも知れないとも思う。

 この設定にはそんな深層心理をくすぐる仕掛けがあるように感じるのだが、そんな妄想もケレンも振り払い、物語は劇的時間をひたすらに疾駆する。