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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

おくるひと おくられるひと

2009-02-09 | 映画
 映画「おくりびと」を観た。監督:滝田洋二郎、脚本:小山薫堂。ご存知のとおり、米アカデミー賞外国語映画賞ノミネートということで映画館は賑わっていたが、昨年9月の公開作品を今頃になって観るのは申し訳ない気もする。
 でも、映画は完成してからもこうして作品は残り、一人歩きして成長しさえする。「保存」のできない演劇と引き比べていつも羨ましいと感じてしまうのだが、昨今の日本映画の健闘は喜ばしい限りだ。
 それにしても、「死」という人間の根源に関わるテーマを扱いながら、ユーモアと普遍性、娯楽性を持たせつつ高い水準を獲得しているこの作品は本当に素晴らしい。

 オーケストラに所属していたチェリストの主人公が、突然楽団が解散になったのを機に実家のある山形に帰り、ひょんなことから納棺師になる。それを妻に言い出せずにいたところがある日妻の知るところとなり葛藤が生まれる。
 この妻役は、ともすれば埋もれてしまいかねない役どころだけに、難しかったのではないかと思うのだが、広末涼子はその存在感をよく出していた。本人はもちろん監督の成果だろう。
 ただ、映画の設定上仕方のないこととはいえ、納棺師という仕事を人に言えないような仕事、けがらわしい仕事として強調しすぎているのはやや違和感が残る。そうしないと確かに劇としての葛藤も生まれないのだけれど。

 映画の本筋とはまるで関係のない感想なのだが、余貴美子と吉行和子は世代が異なるけれど、キャラというか柄がよく似ているなあと改めて思った。どちらも好きな女優さんなので余計そう感じるのかも知れないが、そう思ってみると顔も声もよく似ているのだ。
 山努はやはり伊丹十三監督の「お葬式」を思い出す。厚みのある演技で映画のリアリティを支えていた。

 公開中ゆえ、未見の人にネタバレしないように気をつけなければいけないが、この映画は、「いしぶみ」という自分の気持ちに似た形の石を相手におくるという風習が重要なモチーフになっている。
 「おくりびと」は「おくられびと」でもあるのだ。主人公は死者の尊厳を最大に保ちながら儀礼を尽くして見送りつつ、大切なものを次の世代に伝えようとする。
 私ごとになるが、主人公とその父親の関係は私自身の経験と重なっていて身につまされた。ある事情から私は父親の死を看取ることができない立場だったので、なおさらなのだが、この映画を観て癒されたし、救われたような気がする。
 誰もがそんなふうに自分の人生と重ね合わせて観ることのできる佳品である。