さて、前稿で「協同労働の協同組合」について紹介しながら私が考えたかったのは、役者をはじめ、アーティストや芸術を志す人たちの「働く場」ということである。
無論、めざす表現の領域で「食える」ことができればそれにこしたことはないのだ。しかし、現実においてその割合は1%に過ぎないといわれる厳しい状況のなか、何とか表現活動と日々の生活をともに成り立たせる方法はないのだろうかと思い悩むのである。
私は単純な人間だから、クラシック音楽の演奏者をめざす若者が、例えば音楽酒場のような場で酔客を相手に楽器を演奏したり、歌を唄ったりして糊口を凌ぐことに何ら拘りを持ってはいない。
これに対し、今年75歳になる指揮者宇宿允人の言葉は私の浅慮をえぐって胸を衝く。
以下、昨年11月の毎日新聞のインタビュー記事から一部引用。
そば屋で働いている演奏家がいる。バーでバイオリンを弾いている女の子もいる。「おい、ねえちゃん弾いてみな」。酔客に言われ、だんだん惨めになって、才能のある子がやめていく。自分の音楽を安売りしちゃいけない。「君たち、楽な仕事しちゃだめだ。駅のトイレ掃除とかビル掃除をやれ。帰ってから手を洗い、オーボエ吹いたり、ホルン磨いたりするんだ」
切ないですね。
「切ないですよ」
(中略)拍手喝采が鳴りやまない客席に孤高の指揮者は語りかけた。「年金もらってぬくぬくしているなら死んだ方がいい。倒れるまで、死ぬまで、私は闘います。どうかこのオーケストラを育ててください」
いつだったか、私は芸術家コロニーならぬ役者やアーティストたちによる協同労働体を秘かに構想したことがある。
商業的に成功した劇団やテレビや映像で稼ぐことのできるタレントを多数抱える劇団は別にして、多くの場合、公演活動で黒字を出して「食える」のはまだまだ希少な例といってよいだろう。
たとえば、そんな3つほどの食えない劇団、あるいは個々の役者が集まって協同体をつくるのだ。それぞれの集団は公演時期をずらし、1つの劇団が公演中は他の2つの劇団が仕事を請け負って収益をあげ、公演中の彼らのために生活費を稼ぐという、支え合いの仕組みである。
役者をはじめ、劇団の人間はいわば職人集団でもある。大工仕事はもちろん、電気、塗装、家具修理、運送、清掃、植木の剪定、印刷デザイン、ペットの世話、話し相手、本や新聞の読み聞かせ、ヨガのインストラクター、マッサージ師などなど、ありとあらゆることに対応することができる。
いま、地域社会が疲弊し、人と人とのつながりが希薄化しているなかで、営利を優先する企業体では対応できない地域ニーズに応えるコミュニティビジネスの芽はそれこそ数え切れないくらいにあるのではないか。
アーティストとしてではなく、アルチザンとして地域社会に貢献しつつ、表現者としての道を生きる。そんな生き方は果たして絵空事に過ぎないのだろうか・・・。
アルル時代の画家ゴッホは「黄色い家」を拠点として芸術家コロニーをつくろうと夢見ていた。
その構想による共同体がどれほど現実的なものだったかは分からないが、ゴッホとゴーギャンの二人の共同生活は、強烈な個性と自我のぶつかり合いが焼けつくような心理の葛藤となって、例のあまりに有名な「耳切り事件」を惹き起こす。
労働と芸術は決して折り合うことのできない永遠のテーマなのかも知れない。ゴッホはこの問題をどう考えていたのだろうか。まさか、パトロンたる弟テオへの依存を当然視していたわけではないと思うのだが。
それゆえの焦燥や煩悶があの傑作群を生んだとも考えられるけれど、この問題への決着がつかない限り、アーティストによる「協同組合」も挑戦し甲斐のあるテーマではありながら、彼方にある夢に過ぎないのかも知れない。
無論、めざす表現の領域で「食える」ことができればそれにこしたことはないのだ。しかし、現実においてその割合は1%に過ぎないといわれる厳しい状況のなか、何とか表現活動と日々の生活をともに成り立たせる方法はないのだろうかと思い悩むのである。
私は単純な人間だから、クラシック音楽の演奏者をめざす若者が、例えば音楽酒場のような場で酔客を相手に楽器を演奏したり、歌を唄ったりして糊口を凌ぐことに何ら拘りを持ってはいない。
これに対し、今年75歳になる指揮者宇宿允人の言葉は私の浅慮をえぐって胸を衝く。
以下、昨年11月の毎日新聞のインタビュー記事から一部引用。
そば屋で働いている演奏家がいる。バーでバイオリンを弾いている女の子もいる。「おい、ねえちゃん弾いてみな」。酔客に言われ、だんだん惨めになって、才能のある子がやめていく。自分の音楽を安売りしちゃいけない。「君たち、楽な仕事しちゃだめだ。駅のトイレ掃除とかビル掃除をやれ。帰ってから手を洗い、オーボエ吹いたり、ホルン磨いたりするんだ」
切ないですね。
「切ないですよ」
(中略)拍手喝采が鳴りやまない客席に孤高の指揮者は語りかけた。「年金もらってぬくぬくしているなら死んだ方がいい。倒れるまで、死ぬまで、私は闘います。どうかこのオーケストラを育ててください」
いつだったか、私は芸術家コロニーならぬ役者やアーティストたちによる協同労働体を秘かに構想したことがある。
商業的に成功した劇団やテレビや映像で稼ぐことのできるタレントを多数抱える劇団は別にして、多くの場合、公演活動で黒字を出して「食える」のはまだまだ希少な例といってよいだろう。
たとえば、そんな3つほどの食えない劇団、あるいは個々の役者が集まって協同体をつくるのだ。それぞれの集団は公演時期をずらし、1つの劇団が公演中は他の2つの劇団が仕事を請け負って収益をあげ、公演中の彼らのために生活費を稼ぐという、支え合いの仕組みである。
役者をはじめ、劇団の人間はいわば職人集団でもある。大工仕事はもちろん、電気、塗装、家具修理、運送、清掃、植木の剪定、印刷デザイン、ペットの世話、話し相手、本や新聞の読み聞かせ、ヨガのインストラクター、マッサージ師などなど、ありとあらゆることに対応することができる。
いま、地域社会が疲弊し、人と人とのつながりが希薄化しているなかで、営利を優先する企業体では対応できない地域ニーズに応えるコミュニティビジネスの芽はそれこそ数え切れないくらいにあるのではないか。
アーティストとしてではなく、アルチザンとして地域社会に貢献しつつ、表現者としての道を生きる。そんな生き方は果たして絵空事に過ぎないのだろうか・・・。
アルル時代の画家ゴッホは「黄色い家」を拠点として芸術家コロニーをつくろうと夢見ていた。
その構想による共同体がどれほど現実的なものだったかは分からないが、ゴッホとゴーギャンの二人の共同生活は、強烈な個性と自我のぶつかり合いが焼けつくような心理の葛藤となって、例のあまりに有名な「耳切り事件」を惹き起こす。
労働と芸術は決して折り合うことのできない永遠のテーマなのかも知れない。ゴッホはこの問題をどう考えていたのだろうか。まさか、パトロンたる弟テオへの依存を当然視していたわけではないと思うのだが。
それゆえの焦燥や煩悶があの傑作群を生んだとも考えられるけれど、この問題への決着がつかない限り、アーティストによる「協同組合」も挑戦し甲斐のあるテーマではありながら、彼方にある夢に過ぎないのかも知れない。