seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

月とドッペルゲンガー

2009-09-13 | 読書
 本を読んでいて、その内容が同時期に読んでいたまったく関連のない別の小説や新聞記事のテーマと偶然のように重なり合っていて驚くことがある。それはまた読書というものの密やかな喜びでもあり、楽しみでもある。

 最近では、たまたま赤江瀑が1970年に書いた「ニジンスキーの手」という短編小説を読んでいたところ、12日付の日経新聞に20世紀舞踊の礎を築いたバレエ団「バレエ・リュス」のことが特集されていて、そのなかでドイツ・ハンブルク市立美術館に展示されたニジンスキーが精神病を発病した頃に描いたというデッサンのことが書かれていた。
 「ニジンスキーの手」は、ニジンスキーの師であったディアギレフとの軋轢とそれによる精神的緊張がニジンスキーを病へと追い込んだという説を遠景として、ある日本人ダンサーの憎悪と野望を描いたミステリーである。
 今年は「バレエ・リュス」が結成されてからちょうど100年とのことで、各地で再評価の動きがあるという。
 同バレエ団は1929年に解散し、ダンサーたちは世界に散ってバレエを広めた。その影響は、モーリス・ベジャールが自身を「バレエ・リュス」の後継者と公言したことにとどまらず、ジョン・ノイマイヤーやマース・カニングハム、ピナ・バウシュにまで及ぶという。
 わが国の傑出した男性ダンサーである熊川哲也もまたニジンスキーの系譜のなかにあると新聞には書かれていたが、いつか「ニジンスキーの手」を原案としたドラマや映画が撮られるとしたら、あの野心的な主人公役にはやはり熊川哲也が似つかわしいだろうなどと勝手に想像してはほくそえんでいる。

 さて、北村薫の「鷺と雪」については別の機会にも触れたが、この表題作はドッペルゲンガーが謎解きのテーマになっていて、芥川龍之介の小説のほか、ハイネの詩にもとづくシューベルトの歌曲「影法師」のことが作中に出てくる。
 この詩には森鴎外の訳があって、そちらの方の訳題は「分身」なのだそうだが、その一部が小説に引用されている。

  しづけきよはのちまたには
  ゆくひともなしこのいへぞ
  わがこひゞとのすみかなる

 この「鷺と雪」を読む直前、必要があって梶井基次郎の「Kの昇天」を読んでいた。
 これは月の光によってできた自らの影に憑かれたKという青年の死を描いた散文詩のような作品であるが、このなかにもシューベルトの同じ曲が重要なモチーフとなって出てくるのである。こちらでのタイトルは原題のまま「ドッペルゲンゲル」あるいは「二重人格」と紹介されている。

 梶井の小説にはハイネの詩の訳は出てこないので、北村薫の小説を読むまでは、もしかしたらこれは梶井基次郎の巧妙なでっち上げなのではないかなどとあらぬことを考えていたのだが、シューベルトの歌曲集を漁ってみるといとも簡単に見つけることができた。(当たり前か)
 以下、マティアス・ゲルネ(バリトン)とアルフレッド・ブレンデル(ピアノ)によるフランツ・シューベルト歌曲集「白鳥の歌」D.957のジャケット解説文からその訳詩を引用する。(訳:西野茂雄)

  夜はひっそりと静まり、まちは眠っている、
  この家にぼくの恋びとが住んでいた。
  彼女がこの町を去ってすでに久しい、
  だが、その家はもとのところに立ったままだ。

  そこにはまたひとりの男が立って、
    天を仰ぎながら
  はげしい苦痛にもろ手をよじっている。
  その顔を見たとき、ぼくはぎょっとして慄えた、
  月あかりが見せたのは、ぼく自身の姿だったのだ。

  おい、兄弟、蒼ざめたもうひとりのぼくよ!
  その昔、この場所で、数知れぬ夜々、
  ぼくを苦しめたあの愛の悩みを
  なんだってむしかえしたりしているのだ?

 鴎外の訳とはずいぶん趣が異なるけれど、意味はよく分かる。そしてその《想い》の深さ、苦しさも・・・。
 これらの小説には、月と影、恋と死、昇天と墜落など、様々な隠喩が散りばめられ、その言葉の一つひとつが私たちの想像をあらぬ方向へと誘うようだ。
 「Kの昇天」には、ジュール・ラフォルグの次の詩句が引用されている。それは私の中で何度も何度もリフレインされ、鮮明な映像を結ぶ。そこに私は自分自身の姿を見てしまう。

  哀れなる哉、イカルスが幾人(いくたり)も来ては落っこちる。