seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

誕生日のガラスペン

2009-09-28 | 言葉
 誕生日のお祝いに佐瀬工業所製のガラスペンをいただいた。
 透明なガラスと紺色のガラスのねじりペンである。

 この繊細な、美しいペン先からどんな色のインクが流れ出し、どんな形の文字が書きつけられるのか。

 昨日のわたしはわざとのように、挑発するだけのためにみにくい言葉を使った。みにくい心で言葉をねじ曲げた。
 哀しくなった。みにくい言葉は何も生み出さない。

 今日、誕生日のわたしはガラスペンをいただいたので、とても幸せだ。
 ただ風にそよいでいるような静かな心で、そっとやさしく文字を書きたいと思う。

 インクを含んだガラスのペン先からこぼれるのはつよい言葉だ。
 なにものにも負けないやさしい言葉だ。
 けっしてねじ曲がることのないまっすぐな言葉だ。

 そんな言葉で、あなたとともに語りあうことを私は夢見る。

伝言ゲーム

2009-09-28 | 雑感
 世の中の仕組みは「伝言ゲーム」によって成り立っているのではないだろうかと思うことがある。
 そのゲームにおいて「情報」は血液のようなものだ。血液がうまく行き渡らなかったり、不足したり、あるいは変形したものであったりすると取り返しのつかないことになる。
 ごく最近のことだが、知っておくべき情報を知らなかったために私はある重大な失敗をしてしまったのだ。それは第三者からみれば取るに足らないことなのかも知れないのだけれど。

 その要因をよくよく考えれば、私の属する組織内のコミュニケーションが不全で、情報が十分に伝達されていなかったということに尽きる。
 けれど、その情報を知らなかったことにより、私は人に対して誤った評価をしてしまい、そのことで巻き添えのようにして必要のない軋轢を生じさせてしまったのだ。
 さらには、そのことを起因として、誰よりも大切な人を傷つけてしまった。そのことがまた私自身をどうしようもなく傷つける。

 世の中はさまざまな伝言ゲームに満ち溢れている。そこでやり取りされるのは「情報」である。
 それは政治の世界でも同様であり、情報こそが力なのだ。
 だから人は情報を血まなこになって集めようとする。持てる情報を隠そうとし、ワザとのように漏洩し、画策しようとする。
 情報をもらえないことで激しく嫉妬し、憎み、情報を得るために懐柔しようとする。

 メディアはさまざまな情報をさまざまな手段で私たちに伝えようとするけれど、本当に大切で必要な情報がそこにあるのかどうかを私たちは自分の力で見極めなければならない。

 いま、政権交代に伴い、八ッ場ダム、川辺川ダムの建設中止を担当大臣が表明したことにより、様々な課題が噴出している。
 目にする報道の多くは、地域住民の困惑や怒りに焦点が向きがちで、大臣との対峙がやや扇情的に報じられる。地元に全国から批判的なメールが数多く寄せられたことなど、そうした報道の影響と言えなくもないだろう。
 重要なのは事実に基づくデータであるが、それは現時点で明確であるとは感じられない。

 建設中止の根拠は何なのか。それは十分納得できるものなのか。
 費用対効果はどのように算出されているのか。ダムに代わる治水や利水の方策はどうなるのか。
 そうした課題の一つひとつを丁寧に伝えることこそがメディアにも為政者にも求められるだろうし、そうした情報の真偽を十分吟味し、判断することが私たちには課せられているのである。