我が家の小さな庭で今年初めて蝉の声を聞いた。東の空は茜色、入道雲も顔を出している。昨日熊本地方では36度を超える猛暑日を記録した。独りよがりで、梅雨が明けたのではと喜んだのもつかの間、昼過ぎには大雨となった。試合中の高校野球も急遽1時中止。取りやめ再試合となったものもある。
今日、80歳の誕生日を迎えた。昨夜、家族全員の誕生前夜祭でいただいた焼酎は美味しかったが、すこし飲みすぎたようだ。今朝は少し頭が重い。朝のラジオ体操はどうやらいつも通り終えることが出来たが、毎朝の散歩は取りやめた。
朝の食事は〝うちの奥さま”心づくしの赤飯にお味噌汁。いつもの年のことではあるが心のこもった朝食に、感謝の気持ちを添えて舌鼓を打つ。ありがとう。どうやら80歳の誕生日を迎えることが出来ました。あなたのおかげですと思わず奥さまに頭を下げ、素直にブログでその気持ちを伝えることができました。
80歳、残りの人生もあとわずか。いまからでも遅くない、し残したことはないか、ひと踏ん張りが大切と痛感する。コント55号の欽ちゃん。74歳で駒澤大学の1年生となった。その努力には頭が下がる。家庭教師は受験勉強を始めたころの欽ちゃんの学力は中学2年生程度だったと話していた。やればできる。欽ちゃん独自の勉強方で無事に入学試験を突破した。その努力は尊敬に値する。というより80歳の私も見習うべきこと。欽ちゃん孫のように若い学生たちと一緒に、今日も仏教の勉強に励んでいるという。
がんばらなくちゃ。やり残した仕事はまだまだたくさんある。家族に祝っていただいた80歳の誕生会で、意欲がますます湧いてきた。“うちの奥さま”が、パパの今の生活が続くなら、ボケることは絶対にないでしょうと仰った。ほんとうかな。でもその言葉、素晴らしい奥さまの誕生日の贈り物。ありがとう。
誕生日には必ずしないといけないことがある。遺言状といえばはばったいが“うちの奥さま”へ残す最後のお手紙。すぐに奥さまに見せるものではないが、いずれ訪れるであろう黄泉の国への旅立ち。その時に開いてもらうための大事な手紙だ。これまでの感謝の気持ちと奥さまが一人になったときに何をすればよいか。一生懸命考えながらの願いも込めた作業だった。夜も遅くなってやっと出来上がった。
来年もまた誕生日を迎えることができたなら、この手紙書きかえられことでしょう。何度も何度も、何通も何通もこの手紙を書くことこそ、人生最大の幸せだろう。手紙を書きながら心の中みんなの幸せを願っていた。