毎日が日曜日・でも多忙です!

おかげさまで、毎日を元気に楽しく過ごしています。普段の出来事、思いつくことなどフリーの立場で記録したいと思います。

平和の詩

2018-06-24 09:53:04 | 日記

 太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者らを悼む「沖縄慰霊の日」、最後の激戦地となった糸満市摩文仁の丘は平和公園で開かれた「戦没者追悼式」で、浦添市立港川中学3年の相良倫子さんの朗読。力強く読み上げた「平和の詩」。聞きながら、式典に参列された多数の方々が、ハンカチを目にあてている。私もテレビの前で思わず涙を拭いた。平和の大切さを改めて知らされた。

 無断で『平和の詩』(一部抜粋)を転載せていただいた。

 今日もまたはじまる いつもの日常

当たり前に食事をして 当たり前に好きなことを学んで 当たり前に安心して眠りにつく そんな普通の一日 今日もまたはじまる

いつもの日常 当たり前に基地があって 当たり前にヘリが飛んでいて 当たり前に爆弾実験が行われている

そんな普通の一日 一見「平和」に思えるこの小さな島

そこにいつの間にか当たり前ではない 当たり前であってはならないものが 入り込んでしまっていた

普通なら受け入れられない現実を 当たり前に受け入れてしまっていた これで本当にいいのだろうか

平凡な幸せを感じながら ただただ「平和」を望む今 簡単にこの違和感を 無視していいのだろうか

黒いたくさんの礎 刻まれるたくさんの名前 そこで思い知る 戦争が残した傷跡の大きさ深さ

何も幸せなど生まれなかった 何も手に入れたものなど無かった すべて失ったものばかりだった

忘れてはならない この島であった悲しい記憶 目を背けてはならない 悲しい負の遺産

それを負から正に変えてゆく それがこの遺産を背負い生きてゆく私たちにできること 変えてゆくのは難しい

しかし一人一人が心から 負である「戦争」を忌み嫌い 正である「平和」を深く愛する そんな世界になれば きっと正の連鎖がはじまるはずだ

六月二十三日 慰霊の日

あの黒いたくさんの礎には たくさんの人々が訪れる

そして その一つ一つの名前に触れ 涙を浮かべながら語りかける

「今年も会いに来たよ」と 手を合わせ目を瞑(つむ)り祈りを捧(ささ)げる その訪れた人々に 「平和」を願わないものはいない

「一度あった事は二度ある」 そんな言葉を聞いたことがある しかし こんな悲惨な出来事は もう繰り返してはならない だから……

「一度あった事は二度とない」に 変えてゆこう 平和で塗りつぶしていこう その想いはきっと届いているはずだから


沖縄慰霊の日、摩文仁の丘で「戦没者追悼式」

2018-06-24 09:08:05 | 日記

 20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から73年。23日沖縄は「慰霊の日」を迎え、最後の激戦地となった糸満市摩文仁の丘平和祈念公園の前で「戦没者追悼式」が開かれ、正午に参列者全員で黙とうが捧げられました。沖縄の苦しみは73年たった今も続いています。わたしもテレビの前で静かに頭を垂れました。

 このあと翁長知事は「平和宣言」を読み上げられ、「私たちは、この悲惨な体験から、戦争の愚かさ、命の尊さという教訓を学び、平和を希求する『沖縄のこころ』を大事にきょうを生きています」と述べられ、さらに「国民の皆様に沖縄の基地の現状や日米安全保障体制のあり方」について、真摯に考えていただきたいと述べられました。

 語りつくせない悲惨な太平洋戦争も、民間人を含む約20万人もの命を奪った沖縄戦も、73年の時の流れとともに風化しつつあります。当時、沖縄戦を体験した人も、今は沖縄県民の10%近くと言われ、戦争を知らない世代が増えているのです。

 摩文仁の丘の「平和の礎(いしじ)」の前で、彫られた名をいつまでも指さしながら、涙を流す高齢の婦人の姿がありました。思わずわたしも涙しました。

 基地に囲まれた沖縄は、今も苦しみと悲しみに包まれています。遠く離れた本土に住む私たちはそのことを本当に理解できているのでしょうか。他人事と思っておられる方がいるかもしれません。

 せめて遠くからでも、平和宣言の『沖縄のこころ』を理解し、国民全部で共有することができないものでしょうか。

 この日、沖縄地方では梅雨明け宣言が出されました。高校野球100回目の夏も開幕です。おこがましいことではありますが、沖縄に真の平和を願い、せめて本土並みの心の保証ができないものでしょうか。