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12月8日は「太平洋戦争開戦の日」

2018-12-08 16:12:18 | 日記

 77年前の12月8日、日本軍による真珠湾攻撃が行われた太平洋戦争の開戦の日。この日は国民にとって忘れられない日。日本の悲劇がこの日から始まったといってもよい。

 この日、朝日新聞朝刊30面には「戦争深まる怒りと疑問・真珠湾攻撃77年」と開戦関連の小さな記事がただ一つ。

 「開戦記念日」と言われていたこの日だが、年の経過とともに風化がすすみ、新聞やテレビのマスコミに「開戦」の文字はもちろんのこと「開戦記念日」に関する記事は全く見あたらない。

 その日、まだ6歳だったわたし。朝か夜かはよく覚えていないが、父と母が薄暗い電灯の下で心配そうに「戦争が始まった」と話していた。ラジオから勇壮な軍歌が流れていた。何か異様な雰囲気だったことを鮮明に覚えている。

 それからの4年間、子どもだったがかずかずの戦争体験をした。連日連夜、空襲警報のサイレンが鳴り響く。何回も昼夜を問わず防空壕に避難する。近くで爆弾の破裂するすさまじい音がする。空襲で焼けた家を何軒も見た。陣地工作に動員された高小1年(現在の中1)の兄が空襲でボロボロになった衣服を来て家に帰ってきた。蝉取りに行った公園で艦載機から機銃掃射を受けた。2~3㍍のところに弾のあとがあり、近くには薬莢が転がっていた。戦争の思い出は尽きない。長崎に原爆が落とされた日の朝、小倉の空は真っ黒だった。前夜の空襲による火災の黒い煙。数えきれないほどのアメリカの艦載機が空に舞っている。原爆投下の第一目標は小倉だったことを後で知った。悲劇は第2目標の長崎に変わった。一瞬にして3万人を超える犠牲者が出た。この戦争の犠牲者は民間人を含め320万人を超えるとある。

 12月8日は戦争の始まった日。日本という国を存亡の危機に追い込み、敵味方の多くの人命を失わせ、生き残った人々にも塗炭の苦しみを残すことになったこの戦争。「開戦記念日」として、年に1度くらいは思い出さなければならない日ではなかろうか。戦争は悪だ。戦争を2度と興してはならない。また一人一人が「私は戦わない」と言うだけでなく、戦わないために為すべきことは何か、77年前には戦わないための何が欠けていたのか、何が違っていたのか。「開戦記念日」はそのことを考える絶好のチャンスといいたい。