小学校の国語の試験問題ではないのだが、「真摯に受け止める」にはどのような意味があるのだろうか。
24日、沖縄県名護市辺野古沿岸部の埋め立てのぜひを問う県民投票が行われ、辺野古沿岸部の埋め立てへの反対票が、全有権者の4分の1を超えた。県民投票実現のための署名集めから条例制定と改正、そして投票。行動することによって沖縄は埋め立て反対と明確に拒否することで、重い民意を示すことができた。
安倍首相はこれを受けて「投票の結果を真摯に受け止める」と述べたものの、投票で問われた埋め立てのぜひについては触れなかった。衆院の予算委員会では「地元の皆さまの理解を得る努力を続け、普天間飛行場の全面返還の実現に向けて全力で取り組む」と述べ、埋めたて工事は引き続き行う考えを示した。総理は、何を「真摯に受け止めるのだろう」。総理は、ただひたすら、美辞麗句を並べ、美しい辺野古の海を濁らせているだけと感じるのは私だけだろうか。
県民投票は反対、賛成に関わらず、県民にとって苦しい判断を求めたものだった。
普天間飛行場のある宜野湾市では反対が26439票、賛成は9643票と反対が7割超。ある住民の方が、反対すると普天間返還は遠のく。1日も早い返還を望むなら賛成だが、辺野古に移転すれば辺野古の人たちが、普天間と変わらぬ苦痛を担うこととなる。苦痛は普天間だけでよいと思い反対票を投じたと語っていた。
この歴史的な結果を、こんどは本土に住む人たちが真摯に受け止め、自分たちに何ができるか考える番だ。