毎日が日曜日・でも多忙です!

おかげさまで、毎日を元気に楽しく過ごしています。普段の出来事、思いつくことなどフリーの立場で記録したいと思います。

寒に耐えて咲く「ヒマラヤさくら」

2018-12-15 10:52:56 | 日記

 隣近所の家の屋根が霜で真っ白。この冬一番の寒さとなった朝の空気は、冷たいの一言。吐く息が湯気のよう。東北や北海道では大雪。タイヤを換えたり、雪かきなど大変なご様子。東京にも雪が降ったそうだ。

 毎月第2金曜日は、唯一、楽しみな碁会の日。碁会は10時に始まるのだが、遅れないようにと8時過ぎのバスに乗った。会場のNTTビルまではバスで約25分。だが、我が家の近くから出るバスの本数は少ない。1時間に1本がやっと。

 碁会の参加者は、高齢の精もあって年々少なくなってきた。新規の入会者はゼロ。この碁会、いつまで続くか少し心配になってくる。

 時間に余裕があるので、交通センターの少し手前でバスを降りる。震災で崩れた熊本城の石垣を眺めながら、市民会館の前に来たときだった。この寒いのに、玄関前の1本の木には”さくら”が満開。じっと眺めるが狂い咲きの花ではない。驚いた、びっくりだ。

       

 調べてみると「ヒマラヤさくら」。秋から冬の期間に咲く珍しいサクラとある。例年11月中旬に開花し11月下旬~12月上旬に見頃を迎える。

 さくらの花はソメイヨシノばかりと思っていたが認識不足も甚だしい。日本のさくらの種類は300を超えることを、83歳にもなって初めて知った。




 

  


翡翠(カワセミ)の写真が撮れた

2018-12-13 16:48:30 | 日記

 朝の散歩コース八景水谷公園の湧水池では、よくカワセミを見かける。カワセミは水辺に生息する小鳥。翼は全体に美しい緑色で、背中のコバルトブルーが鮮やかな水色の体と、長いくちばしが特徴。漢字で「翡翠」と書く。翡翠は青い宝石。水際を一直線にわたるカワセミの緑の軌跡は、まさに飛翔する宝石のようだという。

 散歩の途中で、池の中の枯れ木に留まるカワセミを何度も見る。水面近くの水際を飛翔する姿を見たこともあるが、そのあまりのはやさには瞬きする暇もない。

 カワセミを見るたびに、その姿をカメラに納めたいと思うのだが、愛用のカメラは安物のコンパクトデジカメ。何度も挑戦するのだがいつもカワセミに逃げられてしまう。たまにその姿を捉え、カメラに納めるとピンボケばかり。つい先日、何度も挑戦しやっとカワセミの写真が撮れた。その嬉しさといったらない。やっと撮れたと嬉しくてしようがない。でも、池の中の枯れ木や土手に留まった姿ばかり。飛翔する写真はこのカメラでは無理なこと。

           (シラサギや鴨と一緒に青い小さな鳥がカワセミ)〈可愛いね) 

 新しくて性能の良いカメラが欲しくてたまらないのだが、あまりにも高価。果たして"奥さま”からの許可がでるだろうか。と思案投げ首。

 朝日新聞のコラムにカワセミの記事があった。

 「求愛の時期になると、オスはメスにプレゼントをわたす。何度も水に飛び込んではようやく捕らえた魚をくわえなおし、まず枝や地面に叩きつけて動きを止める。それから魚をくわえなおし、頭側をメス、尻尾を自分側に向けて差し出す。ヒレやトゲがメスの喉に引っかからないよう細やかな配慮をしている」

 なにかほほえましい話ではあるまいか。カワセミのオスはこんなマナーを、いったいいつ身につけるのだろう。カワセミがかわいくてならない。

 

 


12月8日は「太平洋戦争開戦の日」

2018-12-08 16:12:18 | 日記

 77年前の12月8日、日本軍による真珠湾攻撃が行われた太平洋戦争の開戦の日。この日は国民にとって忘れられない日。日本の悲劇がこの日から始まったといってもよい。

 この日、朝日新聞朝刊30面には「戦争深まる怒りと疑問・真珠湾攻撃77年」と開戦関連の小さな記事がただ一つ。

 「開戦記念日」と言われていたこの日だが、年の経過とともに風化がすすみ、新聞やテレビのマスコミに「開戦」の文字はもちろんのこと「開戦記念日」に関する記事は全く見あたらない。

 その日、まだ6歳だったわたし。朝か夜かはよく覚えていないが、父と母が薄暗い電灯の下で心配そうに「戦争が始まった」と話していた。ラジオから勇壮な軍歌が流れていた。何か異様な雰囲気だったことを鮮明に覚えている。

 それからの4年間、子どもだったがかずかずの戦争体験をした。連日連夜、空襲警報のサイレンが鳴り響く。何回も昼夜を問わず防空壕に避難する。近くで爆弾の破裂するすさまじい音がする。空襲で焼けた家を何軒も見た。陣地工作に動員された高小1年(現在の中1)の兄が空襲でボロボロになった衣服を来て家に帰ってきた。蝉取りに行った公園で艦載機から機銃掃射を受けた。2~3㍍のところに弾のあとがあり、近くには薬莢が転がっていた。戦争の思い出は尽きない。長崎に原爆が落とされた日の朝、小倉の空は真っ黒だった。前夜の空襲による火災の黒い煙。数えきれないほどのアメリカの艦載機が空に舞っている。原爆投下の第一目標は小倉だったことを後で知った。悲劇は第2目標の長崎に変わった。一瞬にして3万人を超える犠牲者が出た。この戦争の犠牲者は民間人を含め320万人を超えるとある。

 12月8日は戦争の始まった日。日本という国を存亡の危機に追い込み、敵味方の多くの人命を失わせ、生き残った人々にも塗炭の苦しみを残すことになったこの戦争。「開戦記念日」として、年に1度くらいは思い出さなければならない日ではなかろうか。戦争は悪だ。戦争を2度と興してはならない。また一人一人が「私は戦わない」と言うだけでなく、戦わないために為すべきことは何か、77年前には戦わないための何が欠けていたのか、何が違っていたのか。「開戦記念日」はそのことを考える絶好のチャンスといいたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽しかった鹿児島の旅

2018-12-04 09:25:42 | 日記

 鹿児島へ一泊二日の旅をした。

   鹿児島の「城山観光ホテル」の部屋が取れたと連絡があったのは先月末のこと。年を取るにつれ外へ出る機会がすっかり減ったこともあり、渡りに船とばかりに「よろしくお願いします」と即答した。 

 鹿児島市街を見下ろす山の上に建つ豪華なホテル。部屋は最高。やわらかい温泉も気持ちよい。真下に見える鹿児島の街と正面に立ちふさがるかのようにそびえ立つ桜島。やや天気は崩れかかっていたが、その景色には圧倒された。

         

 ホテルの温泉も気持ちよい。ほのかに湯気の漂う露天風呂に浸かりながら眺める雄大な景色は、部屋から見た風景とはまた一味趣が違う、さらに景色に磨きがかかったかのようだ。

 初めて知ったが、鹿児島市は湯量・質ともに全国でもトップクラスの温泉地。主な温泉地が約40もあり、源泉は270以上と、全国で2番目に多く、市内の温泉数は、約270と県庁所在地では、日本一を誇るとある。

 夜、街に出た。人の多さには驚く。熊本どころではない。クリスマスツリーなど青や赤のイルミネーションが夜の町を賑わせている。

          

 鹿児島特産のさつま地鶏を肴に、芋焼酎を傾けながらゆっくりと夜の食事を楽しんだ。

 一泊二日の短い旅だったが楽しく、素晴らしい思い出の旅だった。

 

 


いよいよ師走・8回目の年男もう「間近」

2018-12-01 16:39:22 | 日記

 きょうから師走。旧暦12月は師走(師走)または極月(ごくげつ)と呼び、現在では新暦12月の別名として用いられている。例年ならば師走の風が冷たく感じられるものだが、異常気象の精か、師走を迎えたきょうも小春日和の好い天気となった。

 近くのスーパーでお歳暮用品売り場を覗いてみた。ポスターに8日までに購入するとポイントは10倍と大きな字で記してある。みかんやリンゴ、スイカなどたくさんの果物も並べられていたが、値段はそれほどでもない。その片すみに熊本名産の晩白柚の箱があるが値段は書かれていない。店員さんは、品物は5日に入ります。お値段はまだわかりませんが、多分2L2玉で3000円~3500円でしょうと説明された。

 1昨年のことだが、熊本地震で沢山のお見舞いを戴いた親戚の方に、そのお礼もかねてデパートからお歳暮として1玉5000円の「晩白柚」を2玉お送りした。それがいま、スーパーとはいえ3000円台になっているとは驚きだ。

 デフレ時代とあって物価は乱高下している。最近ではガソリン価格の高騰もあってか、食料品など個別の品で値上げが相次ぐ。消費者物価指数は前年よりも1.4%の上昇が見込まれ、来年度は、公的年金の給付額を抑える「マクロ経済スライド」が、発動される見通しとなったそうだ。

 「マクロ経済スライド」制度は、少子高齢化の中で年金財政を維持する目的で、物価と賃金の伸びよりも年金給付額の伸びを抑える仕組みだが、これまでの発動は15年度の1回だけ。発動されると4年ぶり2回目で、来年度の給付額は今年度の給付額より微増か据え置きという。少し喜ばしいことではあるが、大きな期待はしない方がよさそうだ。

 年金生活者にとって公的年金は命の綱。年金制度の改革がしばしば話題に上がるが、今後どうなるのか。改革は鬼となるのか蛇となるのか。不安でならない。