ウラジミル・ラブリネンコ氏「年齢不詳」
彼は、国営サハリンテレビ局で永年・報道番組の制作を手がけて来ました。
1995年5月27日にサハリン北部・ネフチェゴルスク市で起きたサハリン地震では、各国のマスメデァを尻目に大活躍をしました。
町の8割が崩壊して死者も大勢出ました。
この崩壊現場でラブリネンコ氏は瓦礫に挟まっていた幼い少女を救出までの映像を鮮明にカメラに収めました。
この時、彼にも二人の幼い子供がいました。
自分の子供の様に、この少女に自ら声を掛けて励まし続けました。
首都ユジノサハリンスク市から640kmの場所では救助隊もなかなか駆けつけれませんでした。
最初は瓦礫から小さい指だけが二本出ているのが、映像では確認されます。
カメラを回しながら「助かるから・大丈夫だよ」と彼が優しく言うと、その指はかすかに動きました。
それから二日間、彼と幼い少女の指との会話が続きました。
三日目の昼過ぎにその少女は無事に救出されました。
この映像は当時地球を回り続けました。
彼は当時のエリッエン大統領から国家栄誉勲章を与えられました。
あれから10年。
家族を失った少女は、親戚に引き取られ美しい娘さんに成長しています。
写真・スタッフと打合せ中のラブリネンコ氏(左)
有限会社・スペクトルテレビ・代表取締役
彼は、国営サハリンテレビ局で永年・報道番組の制作を手がけて来ました。
1995年5月27日にサハリン北部・ネフチェゴルスク市で起きたサハリン地震では、各国のマスメデァを尻目に大活躍をしました。
町の8割が崩壊して死者も大勢出ました。
この崩壊現場でラブリネンコ氏は瓦礫に挟まっていた幼い少女を救出までの映像を鮮明にカメラに収めました。
この時、彼にも二人の幼い子供がいました。
自分の子供の様に、この少女に自ら声を掛けて励まし続けました。
首都ユジノサハリンスク市から640kmの場所では救助隊もなかなか駆けつけれませんでした。
最初は瓦礫から小さい指だけが二本出ているのが、映像では確認されます。
カメラを回しながら「助かるから・大丈夫だよ」と彼が優しく言うと、その指はかすかに動きました。
それから二日間、彼と幼い少女の指との会話が続きました。
三日目の昼過ぎにその少女は無事に救出されました。
この映像は当時地球を回り続けました。
彼は当時のエリッエン大統領から国家栄誉勲章を与えられました。
あれから10年。
家族を失った少女は、親戚に引き取られ美しい娘さんに成長しています。
写真・スタッフと打合せ中のラブリネンコ氏(左)
有限会社・スペクトルテレビ・代表取締役