n45-50

ロシア・サハリンと北海道を結ぶ架け橋ネット。
サハリン州には。、ロシア人もウクライナ人も住んでいる混住地域です。

R サハリン便り サハリン・樺太の歴史本

2006-12-16 09:06:37 | 情報
歴史学修士のクジン氏により書かれた「ユジノサハリンスクの年代記。1882年~2005年」という本のプレゼンテーションが行われた。
例えば、1882年に現在のユジノサハリンスクの位置にはウラジミロフカ村の礎が据えられた。そこには25人の懲役囚が住んでいた。
1905年にウラジミロフカ村は日本の豊原市になった。
1945年現在、豊原市には4万1、590人の日本人、1、125人の韓国人、13人のポーランド人、11人の中国人及び3人のロシア人が住んでいた。
著者は1991年から公文書館で興味深い資料を発見し、本を編集している。
新しい本は市の歴史の全ての時代を紹介する数百枚の写真を含んでいる。
読者は、懲役囚を鞭で打っていた逞しい死刑執行人や樺太庁のすべての知事、サハリンから北海道への日本人の帰還などの写真が見られる。
また、本に特に多いのは、最後の60年間で都市の繁栄のため多くのことをした一般人の写真である。
サハリン→北海道
写真・樺太時代の豊原近郊の小沼村でキツネを飼うポーランド人夫婦

Состоялась презентация книги о Сахалине написанная исследователем Кузиным. В 1982 г в Ю-Сахалинске, который тогда был деревней Владимировка проживало 25 человек. В 1905 г Владимировка стала японским поселением. К 1945 г в Тоёхара уже проживало 41 тыс человек
Книга была создана по материалам архивов и включает в себя фотографии той поры. Кроме этого много информации и фотографий современного исторического периода.
Сахалин-Хоккайдо.
コメント (1)
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