脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

人生五十年でいいです。

2009年04月03日 20時03分47秒 | 近況
桜が満開に咲き誇り、美しい盛りである。
ハラリ、ハラリと落ち行く花びらにも心打たれる。
桜ほど、日本人のメンタリティーや死生観を象徴するものはない。
雅びに花開き、その美を惜しげもなく風に散らせて去ってゆく。
世がいかに移ろおうとも、桜のもつたたずまいには、
日本人の心が生き続けているような転倒した錯覚をおぼえる。

ところで、私は今年ようやく50歳になった。
ネット年齢の方は、40代のままで続けようと思う。
単なる遊び心に過ぎないので、詐称の謗りはご海容願います。

私は、人の人生は50年だと思っている。それ以後は余生である。
半世紀もの歳月を、死にもせず生きてこられ、今尚生きていること
に有り難い思いである。特に、父母には感謝したい。

また一方で、50年生きたので、もういつ死んでも可である。
私は曲がりなりにも自分らしく自分の人生を歩んできたと思う。
これと言って、思い残すこともこの世に未練もない。

桜のように人心を楽しませ和ませながら少しずつ散り往きたいもの
であるが、余計な望みは持たないことにする。
親が生きている以上は生きてねばならぬとは思うが、
吹き来る季節の風に、いつ何時、舞い散ろうとも天命と思う。

生も自由、死も自由な年齢が50歳のような気がする。
もちろん、私が独身で家庭を持たないこともあるが、
人生が終盤に差し掛かり、自分なりに死を想っても許される年齢に
達したことに、心が安んじる思いである。

最早、何かに迷うことも、欲に囚われたり、世間に惑うこともない。
生臭い世間も、迷いも欲も、恬淡と受けあるいは流していけるのか、
本当の処、自信はないが、人の世の無常に心が自然と添いつつある。

ただ心に、充実のみを求め、
我が存在の自然なる重みに従いつつ、
軽やかに往きたいとのみ思う。


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