丁度5年前、1月の私の誕生日の1週間程前、急性心筋梗塞で救急車で運ばれた。
私は母の在宅介護中で、父もまだ自宅で健在だった。私はその年、心臓カテーテル
治療を2度受けた。翌年に父が急逝した。私は実家で母と二人家庭となった。
父が他界した2年後(去年)の9月、母が実家で亡くなった。それから半年した頃、
つまり今年の春先の話だが、三代住んで来た実家の家と土地を、相続のために
手放さざるを得なくなった。今年9月に家を解体した上、買主へ土地を引き渡た。
私は夏頃に自宅近くの賃貸マンションに引っ越した。
奇しくも今年私は還暦、元号も改元の年だった。1年前には、家を立ち退いて賃貸
住まいなんて想像もしてなかった事である。土地を売ったお陰で、老後資金だけは
整ったが安心できる程十分な額ではない。ふた親を見送り、実家も片付けてしまう
と残るは、ひとりの我が身とお墓のみである。今、気ままなマンション一人暮らしと
なって、ようやく気兼ねなく暮らせる、楽になったとホッとしてもいる。
10年前に父が町工場を廃業するので、機械設備を片付け、工場の建屋を解体した。
振り返れば、平成最後の10年間が、我が家の「家仕舞い」「家族仕舞い」だった。
特にこの5年の、老親の介護、両親の他界、相続問題が心身共に一番疲労させられた。
親も家も片付くものが片付いて、人生がすっきりして、楽になったが、今ひとつ心が
晴れないのは、どうしてだろうか? その理由が、自分にも良く判らないのである。
自分の身近な問題(健康問題以外)にはケリが付いたが、世の中の問題、温暖化に
よる河川の氾濫や水害被災、首都直下地震などの、自然災害の生活リスクは気懸か
りである。これは無論私だけの問題ではないが、国家財政だって年間予算が100兆
円借金が1000兆円で心配だの言ってれば、キリがないのだが、解決し得ない大問題
を前にしたとき、日本人には「成るように成る」と割り切る、没論理的な伝統がある。
「成るように成る」は人任せ、成り行き任せみたいだが、これも心を落ち着かせる智慧
のことばの一つだと思う。事態を誤魔化す方便では困るが、「肚をくくる」とか、物事は
「心の有り様一つ」と納めるのも、言い逃れというよりは、困った事態を生き抜く上には、
中身がないようだが、進退極まった心には落ち着きを与える啓句だと思う。
こんな私は、未だ生命があって生かせて頂けるだけ、本当に有難いと思う。
私は私で、世の有様とは異なって、いささか「反時代」的に生きているつもりだが、
年を取る程に、感謝と労りの気持ちを大切にしたいと思っている。
また来年、このブログにお付き合い下さる方々には、宜しくお願い申し上げます。
それでは、ひとまず、好い御年を!!
私は母の在宅介護中で、父もまだ自宅で健在だった。私はその年、心臓カテーテル
治療を2度受けた。翌年に父が急逝した。私は実家で母と二人家庭となった。
父が他界した2年後(去年)の9月、母が実家で亡くなった。それから半年した頃、
つまり今年の春先の話だが、三代住んで来た実家の家と土地を、相続のために
手放さざるを得なくなった。今年9月に家を解体した上、買主へ土地を引き渡た。
私は夏頃に自宅近くの賃貸マンションに引っ越した。
奇しくも今年私は還暦、元号も改元の年だった。1年前には、家を立ち退いて賃貸
住まいなんて想像もしてなかった事である。土地を売ったお陰で、老後資金だけは
整ったが安心できる程十分な額ではない。ふた親を見送り、実家も片付けてしまう
と残るは、ひとりの我が身とお墓のみである。今、気ままなマンション一人暮らしと
なって、ようやく気兼ねなく暮らせる、楽になったとホッとしてもいる。
10年前に父が町工場を廃業するので、機械設備を片付け、工場の建屋を解体した。
振り返れば、平成最後の10年間が、我が家の「家仕舞い」「家族仕舞い」だった。
特にこの5年の、老親の介護、両親の他界、相続問題が心身共に一番疲労させられた。
親も家も片付くものが片付いて、人生がすっきりして、楽になったが、今ひとつ心が
晴れないのは、どうしてだろうか? その理由が、自分にも良く判らないのである。
自分の身近な問題(健康問題以外)にはケリが付いたが、世の中の問題、温暖化に
よる河川の氾濫や水害被災、首都直下地震などの、自然災害の生活リスクは気懸か
りである。これは無論私だけの問題ではないが、国家財政だって年間予算が100兆
円借金が1000兆円で心配だの言ってれば、キリがないのだが、解決し得ない大問題
を前にしたとき、日本人には「成るように成る」と割り切る、没論理的な伝統がある。
「成るように成る」は人任せ、成り行き任せみたいだが、これも心を落ち着かせる智慧
のことばの一つだと思う。事態を誤魔化す方便では困るが、「肚をくくる」とか、物事は
「心の有り様一つ」と納めるのも、言い逃れというよりは、困った事態を生き抜く上には、
中身がないようだが、進退極まった心には落ち着きを与える啓句だと思う。
こんな私は、未だ生命があって生かせて頂けるだけ、本当に有難いと思う。
私は私で、世の有様とは異なって、いささか「反時代」的に生きているつもりだが、
年を取る程に、感謝と労りの気持ちを大切にしたいと思っている。
また来年、このブログにお付き合い下さる方々には、宜しくお願い申し上げます。
それでは、ひとまず、好い御年を!!