脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、RondoZ氏 の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

海も暮れきる

2008年05月05日 20時36分34秒 | 読書・鑑賞雑感
吉村昭氏の『海も暮れきる』(講談社)を再読してしまった。
同書は、俳人の尾崎放哉の後半生を描いた作品である。

放哉は、一高ー帝國東大ー一流企業管理職という
エリート・コースにありながら、酒癖の悪さで身を持ち崩し、
妻とも別れて、漂泊の身の上となった人物である。

各地で寺男を転々とし、托鉢をしたりで糊口を凌ぐが、
肺疾患を病み、友人のつてで小豆島の貧しい庵に、
晩年の地を得て、大正末年四月に42歳で生涯を閉じている。

小豆島の南郷庵も、庵主とは名ばかりで、寺男、墓守りの身であり、
収入口にも乏しく、肺病持ちでもある彼は、日々の暮らしにも困窮し、
生家とも絶縁していたため、生計の大半は、俳句で通じた知人たちの 
温情にすがるしかなかったようである。

酒癖の悪さから周囲に迷惑を掛け、
経済的にもアカの他人の援助を当てにし、
再々友人に金品を無心する姿を、吉村氏の筆は丹念に描き出している。
エリートの身だっただけに、我が身の落箔を放哉はどう感じていたろうか。

今の私には、もうひとつ放哉のこころが掴み切れない。
放哉の句の方は、病勢の悪化とともに、ムダな肉が削ぎ落ちていく。
まるで「骨」だけのような句へ、句境が深化していく。

 咳をしても一人
 墓のうらに廻る 
 赤ん坊ヒトばんで死んでしまつた 
 手袋片ッポだけ拾つた

私は彼の句の中では、
「いれものがない両手でうける」が一番美しくて好きである。
放哉最後の句は、
「はるの山のうしろからけむりが出だした」である。

春の山のけむりに、自身に迫る死期を先取り、
焼かれて、煙となって、空に昇っては消えゆく、
そんな我が運命を、恬淡と見送るかのようである。  

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