脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

空への葬焉。

2014年08月31日 14時33分16秒 | 社会時評
近所で昔馴染みの、おバアさんが亡くなっていた。最近流行りの家族葬
をして葬儀は終えていたそうだ。町ではヒトが亡くなると、町内会のネ
ットワークが動き、訃報の紙片を辻掲示板に貼るのだが、近頃は、身内
だけで葬儀を行うため、町内会や近隣には知らせない風潮があるようだ。

年寄りが死んで近所に知らせると、弔問客がやって来たり、また家族葬
やら密葬なのに、葬儀日程を掲示板に貼られると、内々で済ませたいの
に、香典持参で焼香に来る近所の方々がいたりすると、扱いに困るとい
うようなことなのだろう。

日本の伝統では、通夜葬式は地域社会が担うものであった。葬儀は社会
的、或いは世間的な儀式だったのだが、家族や一族のみの参加で執り行
う身内葬儀に、今後は変化していくのかもしれない。私は余計な世間が
入り込まない、このような変化は賛成である。


先日、島田裕巳氏の『ゼロ葬』(集英社)という本を読んだ。
葬式・僧侶・戒名・墓など不要の、「ゼロ」で死んでいくという話で、
私もかねがね願っていたものだ。それなら、火葬場で亡骸を焼くときに、
釜の温度を上げて骨まで焼き尽くせばいいと思っていた。骨が無ければ、
墓も戒名も必要ない。昔読んだある本の著者は、それを「空葬」と呼ん
でいた。

首都圏では「直葬」という、遺体を火葬場に持って行って焼くだけの、
簡素な葬儀がかなり増えているという。島田氏の前掲書に拠れば、火葬
場によっては、遺族が骨を引き取らず、斎場だか火葬場に処理を委ねる
ことが出来るらしい。その場合、遺骨は然るべき方法と場所(合同墓み
たいな処等)に収められるようである。氏の説く「ゼロ葬」とはこのこ
とである。

葬儀は身内だけの家族葬、骨は拾わずご遺体を焼いて終わり。香典・供
花の類や葬儀手伝いも不要。必要なら進行役等を葬儀社に依頼する程度。
寺や僧侶の関与もなし。読経もなし。戒名なし。納骨・墓もなし。カネ
もかからず、手間要らずで、これも今後の葬儀スタイルの一種として、
認知されていけば良いと思う。

だいたい死んだら無一物に還るだけなのに、ヒトの死に際してカネや人
手が掛かり過ぎたり、義理や世間体がギクシャク動くような有り様がお
かしいのだ。
私も死んだら、葬式自体は要らないと思っている。直葬の空葬で良い。
散骨も良いが、骨を拾い、山や海に撒くでは、誰かの手を煩わすから。
死んだら、火葬場の煙突から煙となって、空に消え去るのみ。
空(くう)になり、空(そら)に還るだけだと思っている。








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