脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

「安井夫人」

2007年10月01日 20時06分06秒 | 読書・鑑賞雑感
「安井夫人」は、武家である安井家の二男仲平(ちゅうへい)と
その妻となったお佐代を描いた森鴎外の短編である。

仲平は、子供時分の疱瘡が元で、あばた顔で片目がつぶれており、背も低かった。
早逝した背が高く美男の兄と並んで歩くと、「猿引きが猿を連れている」
と陰口される程である。
仲平は、江戸に出て昌平校(幕府の学問所)に学び、学問に精進するが、
三十にもなるので、嫁取りの段となった。

だが、学はあるが男振りの悪い仲平に吊合いのとれる女性が見つからない。
そんな折、若衆からも「岡の小町」と呼ばれる、十六になるお佐代さんが
自ら嫁に往きたいと言い出し、驚く周囲の嫉みやら、訝しみを受けながらも、
二人は目出度く結ばれる。

やがて、時は移り、仲平は「大儒息軒」として天下に知られる人物に出世する。
お佐代さんは、子を次々産み、或いは病で失いながらも、質素な夫に仕えつつ、
仲平に先立ち、五十一の年で他界する。

「安井夫人」を描く鴎外の筆は、出来事の時系列に沿い淡白である。
物語も仲平を中心に進行する。短いこの書き物の終盤で、ようやく鴎外は、
「お佐代さんはどう云う女であったか」、
「お佐代さんは何を望んだか」と、振り返っている。


「お佐代さんは夫に仕えて労苦を辞せなかった。
 そしてその報酬には何物をも要求しなかった。     
          (中略)
 お佐代さんにはたしかに尋常でない望があって、
 その望の前には一切の物が塵芥の如く卑しくなっていたのであろう。」

「お佐代さんは必ずや未来に何物をか望んでいただろう。
 そして瞑目するまで、美しい目の視線は遠い、遠い所に注がれていて、
 あるいは自分の死を不幸だと感ずる余裕をも有せなかったのではあるまいか。
 その望の対象をば、あるいは何物ともしかと弁識していなかったのではあるまいか。」


 鴎外の作品には、度々、「遠い所を憧憬する眼」が描かれることがある。
「遠い所」とは、死者の住まう彼岸か、この宇宙の果てか、
或いは、仏の説く何等かの世界なのか、私には判らない。

ただこの「眼」が覚悟し、見据える先には、生も死も超えた「永遠」の相が、
私には、観ぜられてならないのである。

出典:森鴎外「安井夫人」 『森鴎外全集5』(筑摩書房)所収
(「」内、引用文中、漢字をかなに開いた箇所があることをお断り致します。)

人気blogランキングへ
にほんブログ村 気まま




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。