秋の陽射しが心地好い。幼い頃、表にしゃがんで陽射しをジッと見て
るのが好きな子供だった。陽射しが眼から体から、心の内側に入り込
んできて、明るく楽しく暖かな気分になるからだった。
「 朝
村の入口で太陽は目ざまし時計
百姓たちは顔を洗ひに出かける
泉はとくべつ上きげん
よい天気がつづきます
昼
郵便配達がやって来る
ポオルは咳をしてゐる
ヸルジニイは花を摘んでます
きつと大きな花束になるでせう
この景色は僕の手箱にしまひませう
夕
虹を見てゐる娘たちよ
もう洗濯はすみました
真白い雲はおとなしく
船よりもゆつくりと
村の水たまりにさよならをする」
(立原道造「村の詩」)
立原道造は、10代の頃、中原中也と並んで好きな詩人だった。こ
んな優しく切なく甘い言葉を綴りつつも、彼が生きた世界は20世
紀の野蛮と戦争の時代だった。私は、気持ちが殺伐としたとき、
思い出しては読み返した詩人である。
こんな「村」の風景のような、人心の優しさや豊かさを失うべき
ではないと思う。牧歌的なものへのノスタルジーではなく、人間
として生きることの本質としてである。
科学技術は今後も、人間を置き去りにして進化し続けるだろうけ
ど、だからヒトも社会もそれに合わせて、進化・変貌する必要が
あるという時代の風向きも感じるが、私は出来るだけ、時代の喧
騒から距離をおき、自然派でアナログでありたいと思う。
るのが好きな子供だった。陽射しが眼から体から、心の内側に入り込
んできて、明るく楽しく暖かな気分になるからだった。
「 朝
村の入口で太陽は目ざまし時計
百姓たちは顔を洗ひに出かける
泉はとくべつ上きげん
よい天気がつづきます
昼
郵便配達がやって来る
ポオルは咳をしてゐる
ヸルジニイは花を摘んでます
きつと大きな花束になるでせう
この景色は僕の手箱にしまひませう
夕
虹を見てゐる娘たちよ
もう洗濯はすみました
真白い雲はおとなしく
船よりもゆつくりと
村の水たまりにさよならをする」
(立原道造「村の詩」)
立原道造は、10代の頃、中原中也と並んで好きな詩人だった。こ
んな優しく切なく甘い言葉を綴りつつも、彼が生きた世界は20世
紀の野蛮と戦争の時代だった。私は、気持ちが殺伐としたとき、
思い出しては読み返した詩人である。
こんな「村」の風景のような、人心の優しさや豊かさを失うべき
ではないと思う。牧歌的なものへのノスタルジーではなく、人間
として生きることの本質としてである。
科学技術は今後も、人間を置き去りにして進化し続けるだろうけ
ど、だからヒトも社会もそれに合わせて、進化・変貌する必要が
あるという時代の風向きも感じるが、私は出来るだけ、時代の喧
騒から距離をおき、自然派でアナログでありたいと思う。