脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

立原道造を想い出して。

2017年10月09日 10時25分21秒 | 読書・鑑賞雑感
秋の陽射しが心地好い。幼い頃、表にしゃがんで陽射しをジッと見て
るのが好きな子供だった。陽射しが眼から体から、心の内側に入り込
んできて、明るく楽しく暖かな気分になるからだった。


「       朝
 
 村の入口で太陽は目ざまし時計
 百姓たちは顔を洗ひに出かける
 泉はとくべつ上きげん
 よい天気がつづきます

        昼
 
 郵便配達がやって来る
 ポオルは咳をしてゐる
 ヸルジニイは花を摘んでます
 きつと大きな花束になるでせう
 この景色は僕の手箱にしまひませう

        夕

 虹を見てゐる娘たちよ
 もう洗濯はすみました
 真白い雲はおとなしく
 船よりもゆつくりと
 村の水たまりにさよならをする」
 
       (立原道造「村の詩」)


立原道造は、10代の頃、中原中也と並んで好きな詩人だった。こ
んな優しく切なく甘い言葉を綴りつつも、彼が生きた世界は20世
紀の野蛮と戦争の時代だった。私は、気持ちが殺伐としたとき、
思い出しては読み返した詩人である。

こんな「村」の風景のような、人心の優しさや豊かさを失うべき
ではないと思う。牧歌的なものへのノスタルジーではなく、人間
として生きることの本質としてである。

科学技術は今後も、人間を置き去りにして進化し続けるだろうけ
ど、だからヒトも社会もそれに合わせて、進化・変貌する必要が
あるという時代の風向きも感じるが、私は出来るだけ、時代の喧
騒から距離をおき、自然派でアナログでありたいと思う。





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