脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

総選挙2012 : 政界 Back to the Future (1993~94) or ‥ ?

2012年12月01日 10時02分12秒 | 社会時評
新党多立の衆議院選挙だけど、20年前にも新党ブームがあった。
自民・共産を除く8党派が連立し、細川政権が誕生したのだった。
自民党が結党以来初めて野党に転落したのだが、連立政権の運営軸は、
当時新生党代表だった小沢一郎と公明党だった。

細川政権(1993・8~1994・4)はバブル崩壊後のうたかた政権だったが、
戦後日本の憲政史上では「政変」とも呼ぶべき出来事だった。
これに次いで、反・小沢でまとまった次期政権が、自民・社会・さき
がけ連立による村山政権である。村山政権(1994・6~1995・8)は、
自民党の橋本政権に替わるが、自・社・さという政権連立の枠組は
1998年6月まで続いた。(以上、ウイッキペディア参照。)

今回の衆院選挙は、有権者の関心が高く投票率が高そうなので、こん
な時には、どんな風が吹くか知れない。自・公を軸とした連立政権に
回帰というのが、大方の見方だろうか。選挙後の政権枠組としては、
自公・民や、自公・維とか、第三極党の入閣又は閣外協力とか、未来
の党と民主党の連立政権の可能性まで、結果次第で様々考えられる。

自公・民の連立政権構想が、民主・自民双方の一部から漏れ聞こえる
が、20年前の政治状況がつい重なって想われる。民主が「自・社・さ」
ならぬ自・公・民で政権に残るのなら、民主党のサードパーティ化で
あり、二大政党としての矜持を捨てたようなものである。自公・民の
連立は、安定政権には成り得ず、民主党は再分裂するだろう。

一方、石原・小沢の両氏は、各々殿様みたいな存在だが、細川政権の
ような大連立の神輿を担がせて乗っかりたいのだろう。維新の会では、
橋下が石原に喰われ過ぎで、求心力に翳りが見える気がする。
だがここで、未来の党が急遽旗揚げされ、小沢グループが合流してき
たことで局面が変化した。未だ不鮮明ながらも、自・公か民・未かと
いう政権選択的な対立軸が出来る可能性も浮かんでくる。

自・公+α政権か、民主・未来+α政権か、そんな政権枠組の対立が
輪郭化し出すと、選挙戦や政局に国民の注目はさらに高まるのだが。

前者のケースで、α党の位置に民主が来る場合、民主はやがて分裂し、
第三極勢力と絡んだ政局となり、再度、自・公に拮抗する第二党を目
指して政界再編が動き出すという、歴史の繰り返しとなるだろう。
後者のケースに、今は期待したいけど、未来の党もこれまでの民主党
の轍を踏み、やがては分裂必至かと思う。

(一体、小沢一郎という政界の狂言回しは「必要悪」なのだろうか?)


先に「政党政治の終焉」という文章を記したが、あの時私の念頭には
なかったのだが、異なる政党が各々枝になり、連合して一本の木を成
すという「オリーブの木」という政権構想がある。
小沢一郎も提唱しているようだが、元来はイタリアの中道左派連合の
政権スキームだそうである。

選挙制度が中選挙区から小選挙区制に換わっても、英米のような安定
二大政党による政権交替制が育たない。これが日本の政治風土なら、
このような「政権の樹木」構想も考えてみる価値があると思う。
(誤解があると困るが、小沢一郎氏を支持するという含みはない。)

選挙のたびに政策・公約を掲げて政党を立ち上げ、他党と連携や合流
をし政権を目指す、或いは国会議員として国政に参画するという政治
スタイルは、政権プロジェクト方式というか、悪く言えば、学園祭の
実行委員会みたいで、難点・弱点が多々ある。

国政を担い動かしていくには、内政・外交・軍事、財界・官界との折
衝交渉等に政治力が必要である。ただの当選議員の「数」ではない、
党という結束が有する団結力や一貫性、それへの信頼や継続性に相当
するものが問われるだろう。「プロジェクト政権」がこの点をどのよ
うに担保していくのか、十分な工夫と攻略を練る必要がある。

だが一方で、癒着やしがらみからより自由なスタンスでの、国民の声
に直結したオープンな政治が期待できるかもしれない。
政治や選挙を民主化・活性化させるためにも、そのような試みが今後
どんどん出てくるのも悪くはない、と思う。


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