脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

「なんだかにんじゃりばんばん」な時代。

2013年06月30日 11時12分41秒 | 音楽
前から、きゃりーぱみゅぱみゅのことが気になっていた。彼女の雰囲気
・センス好きである。親近感とかシンパシーを感じる。調べてみたら、
彼女は私と同じO型の水瓶座、誕生日も一日違いだったけど、そういう
ことは、関係ないのだろう。

きゃりーの「カワイイ」には、対立をホンワカ中和させて、ポップに
弾けて飛んでいく強さと身軽さがある。きゃりーは、AKBのように
他人と競争しない。カワイイ自分を目立たせてナンボのヒトではない。
そんなこと以前に、彼女の本質は、「笑い(ギャグやナンセンス)」と
か「楽しさ」の表現に根本があり、「カワイイ」は寧ろ従属的な位置に
あるというのが、私の印象である。

また彼女の「カワイイ」の演出には、どうしてか、不可思議な魔法のよ
うな「黒さ」、「黒い魔法」のテイストが加わるのだ。
黒い感じのアレ、何?とか思わせて、人目をひき付け、彼女の方は黒い
モノを操り、それに染まらず、愉快なダンスに消し込んでしまう。

この「黒さ」とは多分、世俗・世間の黒さだと思う。
彼女は軽く明るい自虐で「黒さ」と戯れ、モンスターとか様々にグロテ
スクと遊んでしまう。「やんちゃカワイイ」って、感じである。

絶対的な「カワイイ」が「黒さ」を窒息させ、華と蹴散らしてしまう。
或いは仮に、自分が孤立し疎外されても、逆疎外の反逆を身にまとわ
ず、その反逆を自己中和させて、自分を宙に解放させてしまうような
自分表現者の肯定力が、きゃりーにはある。

表現者きゃりーは、正にアイドルではなく、アーティストだ。
きゃりーの「カワイイ」とは、「ユカイ」という自己肯定だと思う。
彼女は「楽しさ」でヒトを魅了出来る、パフォーマーなのだ。
かつて世界を熱狂させた、Beatlesの席巻力にも一脈通じる感がある。
(Beatles はオーバーでも、彼女は十分に現代アートだと思う。)

もはや、「対立」「対決」なんて、男のドラマは汗臭い。
そんなトホホに疲れること、誰も、望まない時代なのだ。
どう中和させて、ポップに弾けるかだけが、問題なのだ。

世の中の諸々のこと‥。
アベノミクス、憲法改正、原発再稼動、東京オリンピック、都議選の
自民圧勝(多分、参院選も)、弱者・福祉切捨て、復興予算使途の怪しさ、
給料上がらぬ物価高と増税の追い討ち、株高長者などなど、、、

みなみな、いとおかしなのに、斬るに斬れないこの気分、
なんだか、にんじゃりばんばん、なのだ(シャキーン!)。
そんな世の中のことよりも、みんな自分だけは、PON、PONと
楽しく弾けていたいだけ、なんだね、多分きっと。


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