先般「加計学園」(総理の友人が理事長)の獣医学部新設計画について、
内閣府が「総理の意向」「官邸の最高レベルが言っている」等と位置付け
る内部文書の存在が指摘された。更にこの文書について、前・文科省事務
次官の前川氏は、実在していた本物である旨記者会見をした。
菅官房長官は文書について「怪文書みたいではないか」と語り、首相の関
与を否定。その後前川氏に対しては(私の憶測だが)、読売新聞を使嗾して
暴露スキャンダル攻撃をした様に見える。私には、安倍政権の方がどんど
ん「怪政権」へと地滑りしてるようで、日本の政治に暗澹たる思いがする。
安倍総理の身内利権政治は、隠しようもなく明白だが、批判する野党の無
力・微力もあり、国民は怒るよりどこか白けている。政権は多数を恃んで、
知らぬ存ぜぬで押し切る構えだろう。忖度やら阿(おもね)りやら、ご機嫌
取りに囲まれて自己チューに歪んだ政治。政治・行政は公のものでなく、
トキの政権に帰属する私物であることが公然の当然となってしまった。過
去の自民党政権でも、ここまでの政治状況はあっただろうか。
これは「怪政権」というより、もはや議会制民主主義の枠内には収まらな
い処に来ているかもしれない。安倍一強とは、さしずめ「安倍王朝」。
行政マンはオール忖度さん(一部に造反あり?)で、不都合な証拠は出ない
し早めに破棄してくれる。野党・マスコミ・国民等の批判・疑念は、適当
にあしらい誤魔化しておけば、騒ぎはそのうち終わる。そんな処か。。。
話はやや換わる。NHKの受信料の支払義務を巡る裁判があった。受信料
の支払義務者は、放送法では「受信設備の設置者」である。では、テレビ
付賃貸マンションの場合、誰が支払義務者なのか? テレビの設置者は賃
貸マンション経営者等であり、部屋の住人ではないと通常考えられる。
一審の東京地裁は、「住人は受信設備の設置者ではない」として、NHK
側に受信料を返金するよう命じたが、東京高裁は控訴審判決で「設置者と
は、放送を受信できる状態にある人だと解釈できる」とし、受信料の支払
義務は部屋の居住者となった。放送法の「受信設備の設置者」という文言
からすれば、この解釈は飛躍に思える。司法にもどこか、NHKや不動産
業者への忖度が働いている。
このように行政・司法の在り方も含めて、今、国政全体が政権の自家薬籠
で「忖度」におおわれ、官邸は「王室」となり、内閣府を含めて「王朝」
化しつつある。国政の基本が王威の下達で、立憲民主主義ではなくなりつ
つある。旧天皇制の復活という意味でなく、自民党政治エリートによる身
内主義と王権政治である。
民主的な枠組みで出来上がった戦後の体制、国民主権・平和憲法であり、
福祉・社会保障であり、労働法制や学校教育であり等々が、今後なし崩し
的強権的に解体変容されていくかもしれない。将来不安が高まる格差社会
の中で、様々な行き詰まりで全体が軋んでいる。それの打開方向は、国民
監視と管理の国家主義と、国会に超然とする王権政治に向かいつつある。
(米のトランプ政権にも似た処があるが、これが21世紀世界の趨勢か?)
携帯端末が象徴しそこに集約的に表現される世界がある。総理大臣から子
供まで、自分を中心とした身内や友人という自閉的な円環にしか関心がな
く、その外側の世界は自分と無関係という感覚が一様化しているのでは。
自民党の寡頭エリートによる王権政治でも、今の有権者・日本国民(の過
半数)は、余り関心がないか、もしかしたらOKなのだろうか? 今や我
が国民の大半は、政治には主体的に関わる意味さえ見いだせない状態、
YESでもNOでもない「その他のヒトビト」になってしまったのだろ
うか。
内閣府が「総理の意向」「官邸の最高レベルが言っている」等と位置付け
る内部文書の存在が指摘された。更にこの文書について、前・文科省事務
次官の前川氏は、実在していた本物である旨記者会見をした。
菅官房長官は文書について「怪文書みたいではないか」と語り、首相の関
与を否定。その後前川氏に対しては(私の憶測だが)、読売新聞を使嗾して
暴露スキャンダル攻撃をした様に見える。私には、安倍政権の方がどんど
ん「怪政権」へと地滑りしてるようで、日本の政治に暗澹たる思いがする。
安倍総理の身内利権政治は、隠しようもなく明白だが、批判する野党の無
力・微力もあり、国民は怒るよりどこか白けている。政権は多数を恃んで、
知らぬ存ぜぬで押し切る構えだろう。忖度やら阿(おもね)りやら、ご機嫌
取りに囲まれて自己チューに歪んだ政治。政治・行政は公のものでなく、
トキの政権に帰属する私物であることが公然の当然となってしまった。過
去の自民党政権でも、ここまでの政治状況はあっただろうか。
これは「怪政権」というより、もはや議会制民主主義の枠内には収まらな
い処に来ているかもしれない。安倍一強とは、さしずめ「安倍王朝」。
行政マンはオール忖度さん(一部に造反あり?)で、不都合な証拠は出ない
し早めに破棄してくれる。野党・マスコミ・国民等の批判・疑念は、適当
にあしらい誤魔化しておけば、騒ぎはそのうち終わる。そんな処か。。。
話はやや換わる。NHKの受信料の支払義務を巡る裁判があった。受信料
の支払義務者は、放送法では「受信設備の設置者」である。では、テレビ
付賃貸マンションの場合、誰が支払義務者なのか? テレビの設置者は賃
貸マンション経営者等であり、部屋の住人ではないと通常考えられる。
一審の東京地裁は、「住人は受信設備の設置者ではない」として、NHK
側に受信料を返金するよう命じたが、東京高裁は控訴審判決で「設置者と
は、放送を受信できる状態にある人だと解釈できる」とし、受信料の支払
義務は部屋の居住者となった。放送法の「受信設備の設置者」という文言
からすれば、この解釈は飛躍に思える。司法にもどこか、NHKや不動産
業者への忖度が働いている。
このように行政・司法の在り方も含めて、今、国政全体が政権の自家薬籠
で「忖度」におおわれ、官邸は「王室」となり、内閣府を含めて「王朝」
化しつつある。国政の基本が王威の下達で、立憲民主主義ではなくなりつ
つある。旧天皇制の復活という意味でなく、自民党政治エリートによる身
内主義と王権政治である。
民主的な枠組みで出来上がった戦後の体制、国民主権・平和憲法であり、
福祉・社会保障であり、労働法制や学校教育であり等々が、今後なし崩し
的強権的に解体変容されていくかもしれない。将来不安が高まる格差社会
の中で、様々な行き詰まりで全体が軋んでいる。それの打開方向は、国民
監視と管理の国家主義と、国会に超然とする王権政治に向かいつつある。
(米のトランプ政権にも似た処があるが、これが21世紀世界の趨勢か?)
携帯端末が象徴しそこに集約的に表現される世界がある。総理大臣から子
供まで、自分を中心とした身内や友人という自閉的な円環にしか関心がな
く、その外側の世界は自分と無関係という感覚が一様化しているのでは。
自民党の寡頭エリートによる王権政治でも、今の有権者・日本国民(の過
半数)は、余り関心がないか、もしかしたらOKなのだろうか? 今や我
が国民の大半は、政治には主体的に関わる意味さえ見いだせない状態、
YESでもNOでもない「その他のヒトビト」になってしまったのだろ
うか。