去る3月16日、思想家・批評家の吉本隆明氏が亡くなった。
吉本氏と言うと、共同幻想論が有名だが、私は、その発想は1930年代の芸
術運動、シュールレアリストたちの思想ではないか、としか思わなかった。
また氏の業績にしても、70年代までで出尽くしていたように思う。
80年代頃、埴谷雄高との論争というか口争いがあった。
当時流行のコムデ・ギャルソンを着て、写真に映った吉本を、文壇の先輩
である埴谷が叱った訳だが、吉本は、流行のブランド服を着ることを軽薄
とか論う古い人間の方が、心根が卑しいのだ、というように述べていた。
当時の私は、吉本に軍配を挙げたが、埴谷の気骨の方にも魅かれた。
学生時代の私にとっては、吉本隆明といえば、丸山真男批判であった。
丸山の論理が、西洋民主主義という虚体の上に乗っかった理念との距離に
おいて現実を捉え、展開されているに過ぎないという、批判である。
丸山真男に傾倒していた私は、この斬り方に唸ってしまった。
60年代のオピニオン・リーダー、東大法学部の学者である丸山真男には、
現実を変える力などない。現実の遠くに、安全な場所に立っているだけで
ある。「運動」の側に立ち続け、市井に身を置き続けた吉本の言葉には、
大いに魅力を感じたし、私が丸山から離れるきっかけでもあった。
80年代、世の中はジル・ドゥルーズやデリダ等、難解な思想が持て囃され、
ニュー・アカデミズムがブームになるが、吉本氏も発言が減ってきたよう
に感じていた。時代の推移に、もはや吉本のセンスや言葉が、追い付けな
い状況になっていたのだと思う。
2012年の今日、主義や思想など、犬も喰わないものに成り果てた。
生きることに、神仏も思想も不要である。考えることは誰かがやってくれ
ればよい。必要なのは<情報>であり、その獲得や選択と発信、その手段
である。生きる悩みもなく、スマートで功利的な時代である。
だが、こんな時代だからこそ、<情報>資本主義を俯瞰する、新しい言葉
新しい社会思想や哲学が、一層模索されてもいいと思う。
吉本氏と言うと、共同幻想論が有名だが、私は、その発想は1930年代の芸
術運動、シュールレアリストたちの思想ではないか、としか思わなかった。
また氏の業績にしても、70年代までで出尽くしていたように思う。
80年代頃、埴谷雄高との論争というか口争いがあった。
当時流行のコムデ・ギャルソンを着て、写真に映った吉本を、文壇の先輩
である埴谷が叱った訳だが、吉本は、流行のブランド服を着ることを軽薄
とか論う古い人間の方が、心根が卑しいのだ、というように述べていた。
当時の私は、吉本に軍配を挙げたが、埴谷の気骨の方にも魅かれた。
学生時代の私にとっては、吉本隆明といえば、丸山真男批判であった。
丸山の論理が、西洋民主主義という虚体の上に乗っかった理念との距離に
おいて現実を捉え、展開されているに過ぎないという、批判である。
丸山真男に傾倒していた私は、この斬り方に唸ってしまった。
60年代のオピニオン・リーダー、東大法学部の学者である丸山真男には、
現実を変える力などない。現実の遠くに、安全な場所に立っているだけで
ある。「運動」の側に立ち続け、市井に身を置き続けた吉本の言葉には、
大いに魅力を感じたし、私が丸山から離れるきっかけでもあった。
80年代、世の中はジル・ドゥルーズやデリダ等、難解な思想が持て囃され、
ニュー・アカデミズムがブームになるが、吉本氏も発言が減ってきたよう
に感じていた。時代の推移に、もはや吉本のセンスや言葉が、追い付けな
い状況になっていたのだと思う。
2012年の今日、主義や思想など、犬も喰わないものに成り果てた。
生きることに、神仏も思想も不要である。考えることは誰かがやってくれ
ればよい。必要なのは<情報>であり、その獲得や選択と発信、その手段
である。生きる悩みもなく、スマートで功利的な時代である。
だが、こんな時代だからこそ、<情報>資本主義を俯瞰する、新しい言葉
新しい社会思想や哲学が、一層模索されてもいいと思う。