60年安保・70年安保という政治闘争或いは騒動が、前世紀にあった。
その後に80年安保というのはなかった。80年頃は、大学生より中学
生の方が荒れ出して、校内暴力が社会問題化した時代であったが。
今や2015年安保である。いよいよ海外でのアメリカの戦争に、自衛
隊もお付き合いせねばならなくなった。また対中国等・周辺事態で
の軍事力行使というのも喫緊の課題である。憲法を改正しないで、
違憲な安全保障を政治がゴリ押しするというのが、日本名物の「ア
ンポ(ハンタイ)」というやつなのである。
かつては一般国民、左翼や学生、学者・文化人等が平和憲法に違反
する安全保障という名の軍事政策に対し、国家権力の暴走を危惧し
て戦争反対を叫び、また70年安保前後から武装闘争も行われた。
大学ではゲバ学生がキャンパスを占拠し、街中でも機動隊と衝突し
たり、新宿なんかは街も駅もメチャクチャになったりなどなど‥。
昔、寺山修司が「安保とはお祭りであった」という本質直観的名言
を吐いたが、そう、ホントは政治がどうの思想がどうしたじゃなく、
高度成長期の若い世代は、エネルギーを持て余しはけ口を求めてい
た、そこに生じたお祭り騒ぎが「アンポ」だったのだ。
敗戦後、ひとつの国が再生しつつある途上、何らかの抑圧や憤懣に
抗するエネルギーの噴出が不可避的に生じる。そんな際のガス抜き
として何らかの「祭り」が必要な時代だった、のかも。
60年・70年安保に比すれば、2015年・安保は静かである。あちこち
デモや反対集会も開催されてはいるが、20世紀のアンポの比ではな
い。せいぜい官邸の屋上に、ドローンがひっそり落ちていたという
「デモ以上テロ未満」な一片の政治風景しか絵に浮かばない。隔世
の感である。これからも武装反対運動などまず起きないであろう。
私も勿論、アメリカの戦争に巻き込まれることに反対であるし、安
倍政権の目論む改憲には全面的に反対である。対中国の局地紛争等
で、自衛隊が自衛の範囲で軍事行動を執ることは仕方がないと思う
が、例えばベトナム戦争の頃に今の法案が通っていたら、日本はベ
トナム戦争にも参戦せざるを得なかった。
アメリカの立場にいつも軍事的に追従せねばならないのではなく、
日米同盟と言っても、日本は日本の国是(憲法9条)を墨守しつつ、
アメリカに対しても一個の主権国家としていかに振舞うか、その
国家としての権能と矜持が、今後は一層に問われると思う。
その後に80年安保というのはなかった。80年頃は、大学生より中学
生の方が荒れ出して、校内暴力が社会問題化した時代であったが。
今や2015年安保である。いよいよ海外でのアメリカの戦争に、自衛
隊もお付き合いせねばならなくなった。また対中国等・周辺事態で
の軍事力行使というのも喫緊の課題である。憲法を改正しないで、
違憲な安全保障を政治がゴリ押しするというのが、日本名物の「ア
ンポ(ハンタイ)」というやつなのである。
かつては一般国民、左翼や学生、学者・文化人等が平和憲法に違反
する安全保障という名の軍事政策に対し、国家権力の暴走を危惧し
て戦争反対を叫び、また70年安保前後から武装闘争も行われた。
大学ではゲバ学生がキャンパスを占拠し、街中でも機動隊と衝突し
たり、新宿なんかは街も駅もメチャクチャになったりなどなど‥。
昔、寺山修司が「安保とはお祭りであった」という本質直観的名言
を吐いたが、そう、ホントは政治がどうの思想がどうしたじゃなく、
高度成長期の若い世代は、エネルギーを持て余しはけ口を求めてい
た、そこに生じたお祭り騒ぎが「アンポ」だったのだ。
敗戦後、ひとつの国が再生しつつある途上、何らかの抑圧や憤懣に
抗するエネルギーの噴出が不可避的に生じる。そんな際のガス抜き
として何らかの「祭り」が必要な時代だった、のかも。
60年・70年安保に比すれば、2015年・安保は静かである。あちこち
デモや反対集会も開催されてはいるが、20世紀のアンポの比ではな
い。せいぜい官邸の屋上に、ドローンがひっそり落ちていたという
「デモ以上テロ未満」な一片の政治風景しか絵に浮かばない。隔世
の感である。これからも武装反対運動などまず起きないであろう。
私も勿論、アメリカの戦争に巻き込まれることに反対であるし、安
倍政権の目論む改憲には全面的に反対である。対中国の局地紛争等
で、自衛隊が自衛の範囲で軍事行動を執ることは仕方がないと思う
が、例えばベトナム戦争の頃に今の法案が通っていたら、日本はベ
トナム戦争にも参戦せざるを得なかった。
アメリカの立場にいつも軍事的に追従せねばならないのではなく、
日米同盟と言っても、日本は日本の国是(憲法9条)を墨守しつつ、
アメリカに対しても一個の主権国家としていかに振舞うか、その
国家としての権能と矜持が、今後は一層に問われると思う。