川崎麻世さんの、ジャニーさんお別れ会で~ の記事にジュリーのお名前が、こちら→川崎麻世 ジャニーさんお別れの会での涙のワケ ジュリーのことは下の方にあります。 記事抜粋(※海外進出を果たした後も、ジャニーさんはほめることなく、川崎が出演したテレビ番組などを見ては「ジュリー(沢田研二)だったらここはこうするだろうね」などと、アドバイスした。)
これを読んで川崎麻世さんが、デビューするきっかけになった「パクパクコンテスト」を思い出しました。これに聞き覚えが有るのは、関西人の50歳以上の人だけ。本日は関西人しかわからんネタですm(__)m
『パクパクコンテスト』とは➡(1973年 - 1979年)1970年代によみうりテレビが制作・放送、千里セルシーホールにて公開収録されていた番組『プリン・キャッシーのテレビ!テレビ!!』内の人気コーナーとして始まり、後に独立した番組となった。音楽に合わせ、フリマネをすることで技を競うコーナー。『スター誕生!』(日本テレビ)同様、優勝者が多く芸能界へデビューした。当時小学生であった松原秀樹、草川祐馬、川崎麻世らを輩出した事で知られる。
『プリン・キャッシーのテレビ!テレビ!!』は、横山プリン、キャッシ―の二人がMCを務める日曜日お昼の番組。TVジョッキーのあとの時間だったかしらん? あの当時は内容の濃い~、視聴者参加のバラエティ番組が多かったなぁ、と思います。
故横山ノックの弟子、ハゲの横山プリンが、マイクを飲み込むかのような機関銃トークで、下品に猥雑に喋りまくる。70年代半ばの一時、横山プリンは関西のお笑い界で台風の目のような、マコトにハゲしい存在でした。
オープニングの観客との掛け合いが、まいど!おいど!まいど!おいど!まいど!おいど!まいど!おいど!がいつもの決まり文句。
そう「まいど、おいどが合言葉!」
それをジュリーが真似した・・のかなぁ??(^^; とにかく、大阪らしいとジュリーは思ったんでしょうか。「まいど」と「おいど」韻を踏んでおります。
横山プリンは自分のことを度々、当時人気絶頂の「ジュリー」と称し、キャッシ―は「天地真理!」と二人でボケるのもお約束でした。(キャッシーはナベプロ)
※正しくは、『「まいど」「おいど」「プリン」「ハゲー」「キャッシー」「ブスー」「佐藤忠好(読売テレビの局アナ)」「すけべ~」』と、観客と言い合ったようです。そうやったそうやったと、思い出しました(笑) 佐藤忠好アナも人気でした、お元気かなぁ?
この番組内の人気企画が「パクパクコンテスト」で、シロートの出演者が流行歌に合わせ、フリマネをすることで競うコーナーで、歌は歌わずに口パク。ジュリーと当時人気の天地真理のマネをする人も多かったけれど、山本リンダや動きの派手なヒデキのモノマネが一番多かったようです。
この番組から優勝して巣立った松原秀樹、草川祐馬、川崎麻世の3人ともがヒデキのモノマネで、松原秀樹は山本リンダもやっていた。当時、受けていましたよ!
3人ともまだ若くシロートながら、とにかく甘いルックスが抜群で目立っていました。彼らはグランドチャンピオンになったあと、ジャニーズ事務所に入ったと番組内で報告があり、彼らなら さもありなん。と思いましたわ。ジャニーさんも関西の番組なのに、しっかり美少年に眼をつけていたのね。(※ジャニーズ入りは松原、川崎の二人、草川さんはジャニーズではない)
川崎麻世さんのブログに、当時の「パクパクコンテスト」の写真が載っていました。→こちら
横山プリンさんは大阪での勢いにのって、東京に進出して番組のMCも務めたけれど、大阪のアクの強い芸風は東京ではウケなかったのか、ほどなく撤退。確かに東京での彼のトークは滑っていた。あれほど関西で巻き起こしたプリン旋風も、80年代まではもたなかった。
プリンさんは、ナンバ一番で浜村淳さんらと司会をしていたそうなので、上岡龍太郎さんのように、ファニーズと出会っているかもね。
おなじく、キャッシーもほどなく姿を見なくなり、80年代に久しぶりに姿を見たのは、芸能ワイドショーネタのドロドロした話でした(覚えていますか?知らない方は検索してみて)。キャッシーは、70年代半ばに神戸のサンチカで遭遇したことがあり、思わず気安く「こんにちは!」と声をかけてしまった。薄く笑って、向こうも「こんにちは」と返してくれたが、ほんとは迷惑だったのかもね。
川崎麻世さんは、渋谷鉄平、太川陽介の3人で、浅草のマルベル堂でロケ中に偶然遭遇しました。背が高く彫の深い顔立ちは、日本人離れしてハンサムで、ひときわカッコ良かった。けれど、この3人の中で選ぶなら私は渋谷鉄平さん。「ディープ」や「カリフォルニアドリーム」などの曲が好きです🎵
川崎麻世さんのお蔭で、とても懐かしい70年代のTV番組を思い出しました(^-^)
草川祐馬さん。大河ドラマ「平清盛」に出ていたそうで、どこに出ていたのか さっぱりわからない。何の役だったんだろ。渋谷鉄平さんも、たまに時代劇でお見かけします。
あれはコーナのひとつだったんですか。
番組自体の記憶はあまりないですけどパクパクコンテストは微かに記憶があります。
ジュリーと同年代の〇村さん(伏字にする必要はないんですけどw)とは谷村新司さんです。
パクパクコンテストは後に、独立した番組になったそうですが、その頃にはもう番組には飽きて、見ていません。
>『ジュリーと同年代の〇村さん・・とは谷村新司さんです。』あッ!そうでしたか(^^ゞ 気が付きませんでした(笑) 谷村さんには元からアクティブなイメージが無いので、椅子に座っていても全然OKです。
「ジュリーと同年代の○村さん」は、ここの話とは別の「不惑のスクラムスペシャル」のお話なんです(^^ゞ
ムッシュ田村 懐かしいです!パクパクのジュリーいたいた!そう言われて名前を思い出しました。
アイ高野さんのお名前も、とっても懐かしい! 大阪難波でお店をされていたのですね、知っていたら行きたかった。GSスターたちの多くが、あまりに早くに亡くなってしまって、寂しい限りです。
ジュリーから声をかけて貰って、ムッシュ田村さんは嬉しかったでしょうね。(^-^) 今はどうされているのかと、検索したら、あの伊東四朗さん小松政男さんの「電線マン音頭」の2018年のCDに、ムッシュ田村 デンセンマンとヒットしたのですが・・・同一人物かどうかは、わかりませんでした。同じ名前の別人かもしれないですね。
ムッシュ田村さんの事、検索していただいたんですね。多分電線音頭の話、ご本人だと思います。知り合った当時、電線ロックとゆう曲、レコーディングしたと聞きました。今でもずっと、ものまねの仕事されてるのですね。調べていただきありがとうございました。なんせ40年も昔の話ですから、、、
また、ジュリーの楽しいライブ模様お知らせ下さいませ。私は来月フェスに参戦してきます。今から楽しみにしています
お久しぶりです~
今日福岡のチケット届きました!
ワクワクしながら開けてビックリ👀‼️
なんと1階の1列目でした( 〃▽〃)
しかも中央ブロック…
真ん中ではありませんが
見間違いかもと何度も見直しましたよ(笑)
これで肉眼ではボヤけて見えてたジュリーがハッキリと見れます(*^^*)
今から楽しみで仕方ありません~💖
私も、かなりのアナログ人間でして、スイカ(関西はイコカなんですか?)を持ち始めたのは数年前、それまで、回数券や切符でした。仕事仲間にも[え〜?!😲]と驚かれ、皆が、MDの時も私は、
カセットでした。ソニーウォークマンで。携帯も遅い方でしたね、
ブログが、見れるなんて事も知らなかったし、とにかく、うとい…
パソコンも触ったこともないし、来月からの支払い方法、ペイペイだとか…どうすりゃ良いの、まあ、友達に教えてもらいます。
今は、スマホ、なんとか動画やブログも参加させて頂いていますね〜。🤭
そ、そ、そんなうやましい〜![いいね!いいね!]🎶✌️
娘が帰ってきたので再度確かめてもらいましたよ(笑)
私の一生の運を使い果たしたね~と言われましたが(・・;)
運を使い果たそうが、もう2度と来ないかもしれない
ラッキーを全力で楽しみます~
麻世さんは、パクパクコンテストがきっかけで、ジャニーズ事務所に入ったと書いてあります。
ムッシュ田村さんは、2014年に発売されたCD『「デンセンマン」ありがとう デラックス・エディション』にデンセン・ロック (ムッシュ田村)と名前がありました。電線マン音頭といえば、小松政男さんにもつながっていますね。(^-^)
本日、来月のフェスのチケットが届きました!楽しみですね(^o^)丿