いつもなら、火曜日放送のジュリーにチェックイン!の書き起こしはずですが、バタバタしていたら、昨晩でラジコの聞き逃し期間が終了していました😓
残念・・
ラジコで一回だけ聴いて、あとでゆっくり聴きなおそうと思っていました。以前は、木曜日まで聞くことができたのに、近頃は二日間で聞き逃しは終了です。もしも、お待ちだった方がいたらすいませんm(__)m やっぱりカセットに録音していたら良かった。
簡単にしか書けないので、もっと詳しく覚えている方があれば、コメントをお願いいたします。
10月24日の火曜日の放送は、前回に続き、ジュリーのB面曲がテーマ。
BOROさん作曲の「やさしく愛して」でした。この曲を語るにはどうしても、あの当時のゴタゴタも一緒になってしまうので、言葉にするのは私には難しいです。
「やさしく愛して」には、メッセージで『あの当時はジュリーの離婚などありました。ファンも忙しい時期でもあり、夜のヒットスタジオで歌ったそうですが、覚えているような、いないような・・』
あの頃の多くのジュリーファンが同じような思いであっただろうと、メッセージを共感しながら聴きました。
田名部さんはいつもの明るい声の調子よりも、ずっと淡々と静かに、抑制した感じで読まれたので、1987年当時のでき事などが、おぼろに記憶に蘇りました。田名部さんにはファンの複雑な心境に寄り添いたいという、お気持ちがあったのだろうと思います。
「夜のヒットスタジオ」で、B面の「やさしく愛して」を歌い、ジュリーが涙を流したことなど、翌日に離婚の発表があったことも話題にあがりました。あの曲には、当時の色々な出来事や思い出が交錯します。
それとは関わりなくBOROさんが作詞作曲の「やさしく愛して」は、別れる相手への思いやりや後悔を感じる、素敵な曲ですが、コンサートでは当時歌っただけのように思います。おそらく、この先も歌うことはないかもしれませんね。と番組では締めくくられました。
1987年、きわどい季節のB面、作詞作曲はBOROさん。
思い出と切り離すのなら「やさしく愛して」という楽曲自体は、とてもとても好き。情景が浮かぶ歌詞、心を締め付けるジュリーの歌声は切なくて、こちらの気持ちを優しく撫でるように美しい。
「やさしく愛して」を歌った、この回のヒットスタジオは見ていません。ずっと後から、J友さんからジュリーが涙を流していたね、と教えられて驚いたくらいです。
なんでその日に限って見ていなかったんだろう?とずっと長い間、不思議に思っていたのですが、数十年後に日記を読み返したら、幼馴染がちょうどその時間に電話をかけてきたせいで、見ることが出来なかったとわかりました。そういえば、早く電話が切りたいのに、何も知らずに話し続ける幼馴染にイライラしていたわ・・(-_-;) 電話を切った時に、番組はもう終わっていて、とてもガッカリしました。
もし、リアルタイムで番組を見ていたらどう感じたのかな。
おそらく、すっぱりとは到底割り切れない思いを抱いたんじゃないだろうか。多くのファンが離れて行った頃でした。時代は流れて流れて、もうコインが落ちる音を聴くこともありません。
忘れられたみたい。
仕方ない
どうぞお元気で🙇
お元気で🙇
>『夜ヒット観ていましたが、涙は流していなかったような…』
そうなんですか。
>『ソバージュに伸ばしていた髪を切った・・「グッチャグッチャだったですから」』
髪の乱れは心のみだれでもあったのでしょうか。私はソバージュの長すぎる髪は当時はあまり好きではありませんでした。今見れば、すご~く色っぽいと思いますけどね。
ほんとに遠い遠い思い出ですけど、この先も消えない思い出です。
11月17日に国際フォーラムA
行きます🙌
松山千春さんライブに
1階2列目通路側
神席です🤗
ジュリーライブ11月23日も。
神席なら。いいな。
>『シングルカットするならきわどい季節よりもやさしく愛してだったと思うけど。』
「きわどい季節」は、CMのタイアップ曲で、阿久悠さん作詞、加瀬さん作曲だったので、A面に決まったのでしょう。
私も「やさしく愛して」の方をA面にして欲しかったです。
見ていた高校時代の友人が冴えない顔で歌っていたと。それはそうでしょう。公私共に最悪な精神状態だったと思うし。程なく恩人の渡辺晋さんも亡くなられて踏んだり蹴ったりでした。でもあの会のジュリーはカッコ良かったです。潔くて。スポーツ紙や週刊誌には不敵だとか好き勝手書かれてだけど。
あの時のヒットスタジオ。私はスピリット歌って欲しかった。伝説になったと思います。