9月21日、大阪フェスティバルホール(沢田研二LIVE・まだまだ一生懸命)続きです。といってもライブの話ではないのですけど(^^;
大阪フェスの始まる前に、J友さん達と10何人で前オフ会。こういう集まりは当然ですが、コロナ禍の最中では出来ませんでしたから、なんやら久しぶりに嬉しいものです。場所はDVDも見られるカラオケルーム。
J友さんがご持参のDVD鑑賞と、ジュリー話に花が咲く
ジュリーのフラフラ旅行団に参加された方が中に数人いらして、本当に羨ましい限りです。こちらの写真は1982年だったかな。
ジュリーとのツーショット写真を撮るときのエピソード、600数十人のツアー参加者と1枚づつ写真を撮る、その人数と写真を撮るだけでも大変だろうに、ジュリーはいつも同じ顏でカメラの前にいて、表情を変えなかったそうです。カメラが故障したときは、予備の📷で撮ろうとしたら、同じカメラで撮らないと公平ではないと、故障が直るまで撮影はストップしたそうです。
別のJ友さんは、たまたまエレベーターに1人で乗っていた所、そこに1階からジュリーが乗ってきて、狭いエレベーター内に たったの2人きり!! ジュリーの泊まっている階がずっと上の30数階だったので、降りるまでジュリーを上から下まで、遠慮なく見つめ続けたので、しまいにジュリーがセカンドバッグで顔を隠してしまったそうです。スゴイ!な~んて偶然。J友さん、勇気があるわ~(笑) 私ならそこまで見つめる勇気は出ません(^^;
DVD鑑賞は、私も見に行った横浜アリーナの「タイガース・メモリアルクラブバンド」1989年。
GS世代の私はとても懐かしく見ました。当時の人気GSバンドのメンバーが大挙出演。いないのは、ショーケンがいたテンプターズのみです。テンプターズは1981年のさよなら日劇にも出演していませんでしたね。ザ・タイガースはピーのみ不参加です。
加瀬さん、シロー、デイブ平尾、アイ高野、スズキヒロミツ、マモル・マヌー、安岡力也・・と、すでに亡くなったGSメンバーのなんと多いことよ。あの人も亡くなった、この人も。最近もGSメンバーが亡くなったと聴いています。当時のメンバー達はジュリーが41歳の直前で、他の人も40代。ジュリーが若いな~
このライブに出演することは乗り気ではなかったと、後にジュリーが語っていましたが、サティスファクションを歌うジュリーの表情が、とても嬉しそうで楽しそうで、やっぱり ストーンズが好きなんだな~ GSの原点なんだなと思いました。
この後のLIVEで、75歳のジュリーの歌うサティスファクションがまた聴けるもんね~(^-^)
(まだ続きます)