俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

法教育

2012-11-01 09:31:10 | Weblog
 なぜ学校で法律を教えないのだろうか。古い話だが昭和43年に佐賀潜氏の「民法入門」という本がベストセラーになった。当時高校生だった私も興味深く読んだ。
 法学部は文系で最も人気のある学部だ。また法律の基礎知識は国民として必須なだけに高校のカリキュラムに組み込まれていないことは全く不可解だ。織田信長やナポレオンについて知るよりも道路交通法について知るほうがずっと役に立つ。
 因みに現在の高校の社会科はこうなっている。[地歴]日本史、世界史、地理(各4単位)。[公民]現代社会、倫理、政治・経済(各2単位)。但し平成24年から「倫理+政治経済」が大学入試センター試験で4単位と認められるようになった。
 多分、現代社会や政治・経済で断片的に教えられているのだろうが、こんな継子扱いではなく「法律」として独立させて教えるべきではないだろうか。憲法・民法・刑法・道路交通法・労働基準法などから国民として特に必要な項目を抜粋して教えれば良い。将来、司法試験を目指す人なら独自により専門的に学んでも構わない。
 アメリカでは小学校高学年から高校まで継続して法教育が行われており、ヨーロッパでは多くの国で必修教科とされているそうだ。日本でも法教育を実施すれば、いじめに対して「心の問題だ」などといった馬鹿げた議論には陥らず「暴行や恐喝は刑事犯罪だ」という共通認識に基いて速やかな解決が図られるのではないだろうか。 
 もし国民が法律に詳しくなったら都合が悪いと権力者が考えているのならこれは典型的な愚民政策であり絶対に許すことはできない。

健康医学

2012-11-01 09:07:09 | Weblog
 心理学は実験心理学と臨床心理学に大別できる。前者は統計的手法を使って人間心理を解明しようとするもので、後者は精神障害者を治療するためのものだ。極論すれば、前者は正常者のための、後者は異常者のための心理学だ。
 この考え方を医学に敷衍できないものだろうか。医学は元々治療から発達した。病気や怪我を治すことが唯一・最大の目的だった。病気という異常状態の治療ではなく、健康という正常状態に対する役割があるべきだろう。
 反論がありそうだ。臨床医学と基礎・研究医学に分かれている、と。しかしこれは違う。基礎・研究医学の大半は病気の原因と治療法の研究であり、健康に対しては積極的に関与していない。
 人間は誰でも何らかの病気を抱えている。白か黒かと言えばほぼ全員が黒だ。しかし各人を主な100種類の病気についてチェックすればせいぜい1つか2つの病気しか抱えていない。つまり99か98の病気については健康だということになる。人間の大半は健康人だと言っても構わないだろう。
 病気という欠点ではなく健康という長所に注目する医療があっても良かろう。どのようにして体と脳を健康な状態に保つかは重要な課題だ。老人の体と脳の健康については研究されているが、成人の健康に対する研究は未だ不充分だ。
 現在の医師は病気の専門家であって健康の専門家ではない。こんな歪んだ形を正して健康医学という新しい医学が生まれることに期待したい。