俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

加点法

2012-11-07 10:13:04 | Weblog
 京セラの創業者の稲盛和夫氏は「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」と言った。しかしもし悲観的に計画したら殆んどの事業が計画段階で打ち切られるだろう。新しい事業が成功する可能性はせいぜい1%程度だ。成功者の代表とも言えるユニクロの柳井正氏でさえ自らの著書で語っているとおり「1勝9敗」だ。エジソンは「私の実験の99%は失敗だった」と語っている。
 ビジネスは運が無ければ成功しないという意味では雨乞いに似ている。雨乞いをして運良く雨が降れば村は存続し、降らなければ滅ぶ。成功したとされるビジネスモデルなど所詮は雨乞いの成功と大差は無い。敵味方が入り乱れた戦いで生き残れるのは力よりも運に負うところが大きい。成功に必然性は無い。運が必要だ。
 どんな優れた企画であろうと必ずしも成功するとは限らないが、必ず失敗する企画はある。勝利に必然性は無いが敗北には必然性がある。危機管理を欠いた企画は必ず失敗する。総てが順調に推移すれば成功するという甘い企画は「風が吹けば桶屋が儲かる」と同レベルだ。これが失敗することは必然だ。
 新企画の殆んどが失敗するのだから減点法で採点すれば新しいチャレンジをした人の評価が下がり、現状を維持しただけの人の評価が相対的に上がる。成功しなかったことを正当に評価する加点法を採用しなければ組織は萎縮する。現在の日本の低迷の一因は減点法だ。

内定取り消し

2012-11-07 09:43:32 | Weblog
 平成18年頃、企業による内定取り消しが社会問題になった。問題化されるまで企業側は「決定ではなくあくまで内定の取り消しに過ぎない」と突っぱねていたが、その後は示談に応じ賠償金を支払うことが通例となった。当然のことだ。学生は第一志望企業の内定を得たらその時点で就職活動を終える。「内定」という言葉は正式文書ではないが重い。それを安易に取り消されては堪らない。
 今回の田中大臣の暴挙はこの一連の事件を想起させる。「認可される前に校舎が建っているのはおかしい」と言うが内定があったから校舎を建てたと考えるべきだろう。校舎さえ建っていない大学の来春開校が認可されることなどあり得ることだろうか。
 現在の認可制度は翌春開校が前提であり、ソフト・ハード共に充分に準備されていることが確認されて初めて認可される。それまでに内々定・内定を得ているから大学側は来春の開校に照準を合わせて準備を進めて来た。それまでのプロセスを無視して突然不認可にすることはかつての内定取り消し問題と同様に権力者の横暴でしかない。
 「大学の乱立に歯止めをかけ」たいのなら「教育の質」を低下させている既存の大学を改廃すべきであり、何の落ち度も無い新設校に責任を押し付けるのは言語道断だ。これは東京都民の思考力が低下しているという理由で東京で生まれた新生児を無差別に間引きするような暴挙だ。
 党内外から集中攻撃を浴びるまでに一刻も早く3大学の開校を認可すべきだ。遅れるほどに被害は拡大して、最終的に国民が負担させられる損害賠償額も大きくなる。