俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

有害な医療

2012-11-19 10:58:10 | Weblog
 真の病気の市場よりも偽の病気の市場のほうが遥かに大きいのではないだろうか。
 医療と病気の関係は次の4種類だろう。①医療が必要でなく放っておいても治る病気②医療が作る病気③医療によって治る・または進行が抑えられる病気④医療が対処できない病気。肝腎の③は10%ぐらいに過ぎないのではないだろうか。
 圧倒的に多いのは①だ。その中でも風邪は最悪のパターンだ。医療が治癒の妨害をしている。風邪の患者に対して医師は解熱剤などの対症療法に過ぎない薬を処方する。これは目先の症状を緩和することによってヤブ医者という悪評が立たないようにするための自己防衛であり全く患者のためにはならない。対症療法のせいで風邪の症状は長引く。
 血圧や血糖値などがほんの少し高いだけの健常者も常顧客だろう。彼らは病気ではない。しかし「放っておいたら大変なことになる」と医師が脅すので固定客になる。元々病気ではないのに継続的に医療費を払い続けるのだからこんな有り難い客はいない。
 最も恐ろしいのが②だ。イレッサやサリドマイドなどの副作用だけではない。厚生労働省が定める基準値をほんの少しだけ上回る人は本来、生活習慣さえ改めれば病気にならずに済む人だ。ところが医師は生活習慣を放置して薬を処方する。例えば軽度のアルコール性肝炎ならアルコール摂取量を控えさせれば済むのに肝臓の薬を与える。根本問題に手を付けずに症状を緩和するだけの薬を与えるから患者は薬に頼って生活習慣を改めずに症状を悪化させる。少し血糖値が高いだけの人にインスリンを投与し続ければ膵臓の機能が低下して重病者になる。コレステロール値や血圧を薬で無理やり下げられた高齢者が認知症に近い症状になることは少なくないそうだ。これらは医療が作る病気だ。
 医療にはできることとできないことがある。今のところ風邪と癌は治せない。治せないものを治せると偽るのは科学ではなくオカルトだ。医学にはオカルト的な側面があるから健康な人を病人にしてしまう。一刻も早くオカルトから脱して科学になって欲しいものだ。

怒りの心理学

2012-11-19 10:53:43 | Weblog
 怒りは激しい感情だ。もしかしたら最も激しい感情かも知れない。それまでの価値体系を破壊しかねないほど強い感情は好き(性欲)と怒りだけではないだろうか。怒りと性欲は社会秩序を破壊しかねないほど強烈な感情だからこそ否定され続けた。
 フロイトによって性欲は市民権を得たが怒りは今も否定され続けている。怒りは邪悪な感情でありそんな感情に支配されないことが奨励されている。しかし怒りを忘れることは達観ではなく唯の抑圧ではないだろうか。怒りのパワーを評価すべきだ。
 抑圧された怒りは抑圧された性欲と同様に歪んだ形を取って現れる。ヤツアタリは正しくそれだ。これは性欲の転嫁と同様に怒りの転移と言えよう。余りにも日常的であるために異常心理とは見なされていないが、全く不合理な感情だ。
 怒りが抑圧されれば「不機嫌」という状態に陥る。これは抑圧された性欲が神経症を招くような異常心理だ。怒りの存在を認めて、本来何に対して怒っているのかを把握することが必要だ。
 怒りの効能については心理学者よりも政治家のほうがよく知っているようだ。中国・韓国による反日抗議は国内の不満を逸らすためのガス抜きであり、アメリカの仮想敵国も国内の怒りを誤魔化すためのスケープゴ-トに過ぎない。
 怒りは転移する。本来怒るべき相手に対して怒れない時、それは矛先を変える。全く関係の無い人に怒りをぶつけたり、自分自身に向けたりする。後者が鬱病の主因ではないだろうか。
 怒りは蓄積する。怒りを蓄積し続ければ発露すべきでない時に爆発する。
 「怒りの心理学」はまだ生まれていない。しかしこんな激しい感情を無視するべきではない。もしかしたら性欲以上に重要な行動原理でありながら軽視されているのではないだろうか。