俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ザル法

2012-11-11 14:08:10 | Weblog
 日本にはザル法が沢山ある。売春防止法や未成年者飲酒禁止法などだ。刑法の賭博罪や猥褻物陳列罪も目溢しだらけだ。憲法9条も空文化している。
 これらがザル法になっているのは、憲法9条以外は、警察が勝手に目溢しをしているからだ。しかしこれは奇妙な話だ。違法かどうかを決めるのは司法の権限であり、行政機関である警察が勝手に判断することは三権分立の原則に背く越権行為だ。警察はあくまでも法の番人であるべきだろう。
 違法に対して寛大であることを「大人の対応」と考える人もいる。しかしそんな甘い考えでは困る。未成年者の飲酒以外は利権が絡んでいるからだ。
 警察とパチンコ業界の癒着は公然の秘密だ。警察からの天下り先にもなっている。ソープやストリップとの癒着はよく分からない。金銭的なものなのかあるいはサービスの提供なのか・・・。警察に対する接待が不充分な事業者だけが摘発を受けて犯罪者に仕立て上げられる。こんな恣意的な治安維持は法治国家ではない、利権国家だ。
 組織犯罪に寛大な警察は個人犯罪にはもっと寛大だ。交通違反を揉み消して貰う人は決して少なくない。あるいはもっと恐ろしいことをやっているのではないかと想像すると背筋が寒くなる。些か荒唐無稽な話だが、昭和43年に起こった3億円事件は迷宮入りしたことになっているが、実は警察が巨額の賄賂を取って揉み消したのではないかと勘繰れる。昭和59~60年のグリコ・森永事件も同様だ。解決できそうな事件が解決されなかったのは表の事情ではなく裏の事情ではないだろうか。日常的に犯罪を目溢し・隠蔽している警察にとってこれは難しいことではないし、警察を捜査する権限は誰も持っていないから調べようも無い。
 法律を好き勝手に曲解して利権を貪る警察を超法規的な絶対的権力者にしないためにもザル法の見直しは急務だろう。

健康オタク

2012-11-11 13:43:30 | Weblog
 私自身、健康に無関心な訳ではないが、健康オタクに対しては違和感を覚える。彼らの健康志向には何か不健康なものを感じる。前にも紹介したことのあるジョークをここに再掲する。
 患者「長生きしたいんです。」
 医師「酒は飲みますか?」
 患者「そんな健康に悪い物は飲みません。」
 医師「煙草は?」
 患者「絶対に吸いません。」
 医師「それではコチラなら?」と言って小指を立てた。
 患者「健康に悪いから興味ありません。」
 医師「あんたは何が楽しみで長生きしたいんだ!」
 快楽が総てだとは思わない。自己実現だろうと何だろうと、生きる目的は各自が勝手に決めれば良い。しかし何を目的にしようとも生きていなければ何もできない。「何か」のために生きる。少なくとも生きるために生きるということは不合理だ。
 シェークスピアは「人生は舞台だ」と言った。私なりに捕捉すると、人生は何かをするための舞台だ。生きていなければ何もできないからだ。しかし生きることは目標とはなり得ない。人生とは何かをするための舞台であって芝居そのものではない。
 健康オタクは健康のためなら何でも犠牲にしようとする。本来、何かをするために健康でありたいと考える筈だが健康そのものが目的になっている。あれもダメこれもダメと楽しいことを否定して生きることを無味乾燥なものにしようとする。まるで楽しむことは罪だと考えているようにさえ思える。欲望を解放することに対する恐怖から過剰に抑圧が働いているのではないだろうか。
 逆に、楽しいことをしていれば免疫力が高まると言われている。ストイックな健康オタクよりもエピキュリアンのほうが却って長生きするのではないだろうか。楽しく生きることこそ正しい健康法だと私は思う。