俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

自然治癒力

2012-11-27 10:24:38 | Weblog
 治癒できるのは医療によってではない。自然治癒力に依存する。医療に可能なのは応急措置に過ぎない。医療がすべきことは自然治癒力の活性化や有害物の排除といったアシスト機能であり主役にはなり得ない。治癒の主役は自然治癒力だ。
 大きな切り傷を負ったとしよう。医師は切れた筋繊維や皮膚などを縫合する。医学に可能なのは非常事態に対する間に合わせの処置だけであり、その後の修復は自然治癒力に依存する。もし自然治癒力が働かなければ傷口は繋がらないので縫合に使った糸を抜くことはできない。従ってもし動物に自然治癒力が備わっていなければ縫合という方法ではなく接着剤で継ぎ接ぎにすることが傷の治療となることだろう。復元することが余りにも当り前のように行われているので見逃され勝ちだが自然治癒力こそ治癒の本質だ。
 治癒が自然治癒力に依存するということは充分に認識されねばならない。医療で治せると思うことはとてつもなく傲慢なことだ。医療は自然治癒力のための黒子に徹せざるを得ない。
 癌に対する三大治療法は手術・抗癌剤・放射線だが、これらは癌細胞だけではなく正常細胞をも破壊する諸刃の剣だ。癌細胞を痛め付けるのと同程度に正常細胞を破壊する。
 自陣に侵入した敵を倒すために大型爆弾を使用するのは愚かなことだ。味方を支援することが重要だ。自然治癒力を高めることこそ最優先されるべきだ。

学歴偽装

2012-11-27 09:55:52 | Weblog
 田中文部科学大臣は「大学の数が多過ぎ、質が低下している」と言って大学の認可制度の見直しを指示したが、見直されるべきなのは大学なのだろうか。むしろ高校卒業という資格が本物かどうかが問われるべきではないだろうか。
 しばしば問題にされるのは分数の計算ができないとか二次方程式が解けない大学生が少なからずいるということだ。しかしこれはそもそも大学の責任だろうか。
 大学を受験するためには充分な基礎学力が必要だ。つまり高校を卒業するか高等学校卒業程度認定試験(旧・大検)に合格しなければならない。文科省が高校課程を履修または履修相当の学力があると認めた者しか受験できない筈だ。ではなぜ中学レベルの学力さえ持ち合わせていない者が受験できるのだろうか。それは高校が高卒に相応しい学力を持たない者まで落第させずに卒業させているからだ。
 受験資格を持つのは基礎学力を身に付けた者だけだ。高卒の資格を満たさない者にまで卒業証書が渡されていることが諸悪の根源だ。見直されるべきものは大学ではなく高校によって大量生産される学歴偽装だ。
 大学は高校課程を終えた者を対象にして入学試験を実施する。ここに学歴偽装者が紛れ込む。学歴偽装者を受け入れた大学こそ被害者だ。一部の大学では高校までのカリキュラムの補習までやらされている。高校の3年間とは一体何だったのだろうか。こんな馬鹿なことになるのは文科省が学歴偽装を放置しているからだ。
 問題なのは大学ではない。高卒のレベルに達していない者に卒業証書をバラ撒く高校だ。文科省は高校教育のデタラメぶりにこそメスを入れるべきだ。