俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

予防医療

2012-11-25 09:47:22 | Weblog
 15日付けの「予防のウソ」で書いたように私は「予防」という言葉に胡散臭さを感じている。医療や環境などで「予防」という概念が恣意的に使われてデマやデタラメが横行しているからだ。ところが「予防医療」という言葉が医療関係者の間では思いも寄らぬ意味で使われているということを最近知った。これは国民を病気から予防するという意味ではなく、患者から自分達が訴えられないように「予防」するという意味だそうだ。
 どうやって予防するのか。インフォームドコンセントもその1つであり、匙加減をしないことも訴訟を避けるためのテクニックだ。本来、薬には匙加減が必要だ。薬の適正量は人によって異なる。子供と大人だけではなく体格や体質によっても違うだろう。200㎏の巨漢と平均的な体格の人の適量が同じとは思えないし、高齢者なら薬の成分を分解する機能が低下しているから少量あるいは少頻度にすべきだろう。
 わざと匙加減をしないのは「予防」のためだ。薬が効かなくても、あるいは副作用が起こっても「厚生労働省の指針どおりに処方した」ということで責任を免れることができる。しかし本来すべき匙加減をしないことは患者を危険に晒すことになるし医療費の無駄遣いにも繋がる。
 予防接種も匙加減をすべきだろう。体重の大小やアレルギーの有無に基いて木目細かく対処すれば副作用による事故はかなり減るだろう。そばや卵などの食品でさえアレルギー反応を起こす人がいるのだから、毒物でもあるワクチンの投与には細心の注意が必要だ。それを怠るのは基準通りの接種なら責任を問われないからだ。指示した厚労省も責任を取らないから、結局国民が責任を被らされることになる。何という無責任体質か!

雇用の需給

2012-11-25 09:20:04 | Weblog
 需要が増えれば価格が上がり供給が増えれば価格が下がることは経済学の常識だ。このことは当然、雇用についても当てはまる。働きたい人が多ければ給料は下がり、少なければ上がる。
 典型的な実例は東西ドイツの統合時だ。東ドイツが崩壊した時に大量の非熟練労働者が西ドイツに流れ込んだ。西ドイツでは雇用を確保するためにワークシェアリングを積極的に導入せざるを得なかった。
 日本で労働者が急増したことが近年に2回あったと思う。1986年以降と2007年以降だ。それぞれに何があったのか。
 1986年には男女雇用機会均等法が施行された。この法律を悪法と決め付けるつもりは全く無い、必要な法律だ。しかしこの時期から男性の非正規雇用が増えたという事実を見逃すべきではない。つまり雇用需要が変わらない中で女性の正規雇用を増やせば男性の正規雇用が減って非正規雇用が増えるのは当然のことだ。
 私は男女の平均知力は同等だと考えている。但しバラツキ方は全然違う。男性は出来・不出来の差が大きく、女性は安定した中位に集中する。そのために特に際立った人材を求めるのでなければ女性を雇ったほうが得だ。そのほうが外れが少ない。
 2007年からは団塊の世代の定年退職が始まった。高齢者が退職すれば雇用のチャンスが拡大する筈なのにそうならなかった。高齢者の多くが低賃金で働いたからだ。能力があり社会経験も豊富でワーカホリックな高齢者を安く雇えるなら、戦力的には未知数で学力低下の著しい新卒者など雇いたいと思わないのは当然のことだろう。
 雇用の不安定化についてはグローバル化を根拠にして説明されることが多いが、実は国内事情の占める割合が意外に大きいのではないだろうか。