俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

化粧

2012-11-15 09:35:02 | Weblog
 プラトンはソクラテスの姿を借りて、誤魔化しの技術として化粧を否定した。つまり栄養やスポーツなら人を健康にしてそれが健康美に繋がるが、化粧は美しくないものを美しく見せようとするからだ。ハイヒールを履けば足が長いように見えるが実際に足が長くなる訳ではない。実際にどうであるかを改善せず見せかけだけを誤魔化しているに過ぎない。
 私はもっと極端な考えだ。化粧とは未来を犠牲にして今を取り繕う技術だと考える。化粧によって今は美しく見える。しかし化粧品は薬物であり即毒物だ。毒物を塗りたくることによって体は損傷し将来醜くなる。
 これはドーピングのようなものだ。ドーピングをすれば一時的に運動能力が高まる。しかしこれはまやかしの能力であり実力ではない。それだけでは済まない。将来、後遺症に苦しむということもあり得る。
 麻薬にも似ている。麻薬を使えば苦しみを忘れる。しかしこれは幻想に過ぎず麻薬の効果が切れれば元に戻る。長期間常用すれば廃人になる。
 私が認める化粧が1つだけある。それは死化粧だ。死者に未来は無い。だからどれだけ厚化粧をしても構わない。未来の無い死者であればこそ今さえ良ければそれで充分だ。
 未来のある女性、しかも最も肌が美しい時期である若い女性が厚化粧をすることは好ましいこととは思えない。男を引っ掛けさえすれば未来などどうなっても構わないと考えているのだろうか。

予防のウソ

2012-11-15 09:08:22 | Weblog
 治療よりも予防のほうが望ましい。腕を切断してから縫合するよりも切断しないほうが良い。これなら当り前のことだ。しかし過剰な予防には弊害がある。随分前から小学校では鉛筆をナイフで削ることを禁止しているそうだ。その結果として家庭科で包丁を使う女児のほうが男児よりも刃物捌きが巧みになった。
 医療では症状が現れる前に治療しようとする。各種検査値が正常でなければ自覚症状が無くても「未病」状態として薬漬けにされる。癌は「早期発見」というかなり怪しい口実を使って手術されてしまう。病気でない人に対する医療行為ほど楽な治療は無い。元々病気ではないのだから毒でも盛らない限りは悪化する恐れは無い。
 おかしな環境問題が横行するのも予防という虚構のせいだ。かつての環境問題は事実に基いていた。四日市喘息であれ水俣病であれ被害者がいたからこそ改善が急がれた。結果に対する対策なら効果を確認できる。現実として被害者がいるのだから被害者を救えるかどうかが評価の基準となる。
 しかし昨今の環境問題は事実ではなくフィクションに基いている。環境ホルモンであれダイオキシンであれ地球温暖化であれ、どれも被害者はいない。誰一人として被害を受けていない時点で「放置すれば大変なことになる」と騒ぎ立てる。被害者は一人もいないのだからイワシの頭を飾っておくだけでも対策を実施したことにできる。被害者はいないのだから加害者とはスケープゴートのようなものであり多くは唯のでっち上げだ。だから騒いだ者が勝つ。これは正しい未来予測に基くものではなく多くは利権に基いている。踊らされたほうが馬鹿だったと言っても過言ではなかろう。