俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

競争社会

2012-11-02 09:09:30 | Weblog
 男女の違いは色々あるが、競争と協調という違いも見逃せない。男性の友情は切磋琢磨だ。ライバル関係にある者が競争をして個々に成長する。女性の友情は協調だ。仲間同士で協調し社会とも協調しようとする。
 100m走では男女の顕著な違いが現れるそうだ。男性は誰かと一緒に走ったほうが一人で走るよりも早く、女性では有意差は無いとのことだ。私のような競争嫌いの男でも、プールの同じコースに他人がいる時のほうが早く泳ぐ。本来なら相手に気を使うから遅くなる筈なのに競争相手と捉えてしまうのだろう。男性は競争したほうが能力を発揮できるように作られているようだ。
 異論はあろうが、かつての日本は協調社会だった。個人の成果よりもチームの成果のほうが重要視された。そのため内部では競争よりも協調が優先された。昨今では成果主義の名の元で競争が奨励されているが、これは中途半端な競争主義なので却って業務の効率を落としている。 
 このことは韓国と比べれば明白だ。韓国はアジア通貨危機以降、急激に競争社会に変わりつつある。米国以上に熾烈な弱肉強食の競争社会かも知れない。サムスンやヒュンダイなどの国際企業は優遇され、学生はほんの一握りの優良企業に入社するために鎬を削っている。芸能人も国内市場が小さいので国際的に通じるレベルでなければ排除される。
 競争社会は言わば男性原理の社会だ。表での協調と裏での嫉妬が原動力であるかつての日本の女性原理とは正反対のものだ。女性原理から男性原理への急激な移行は歪みを生む。そもそも日本では男性原理が確立さえされていない。飼い馴らされた弱々しい男性しかいないからだ。もし本当に競争社会を目指すなら教育を見直さねばならない。「男性」を育てることから始めねばならない。一体何年かかることやら・・・。

恥の起源

2012-11-02 08:45:30 | Weblog
 恥ずかしいから隠すのではなく、隠すから恥ずかしくなる。例えば女性の性器は隠したことによって恥ずかしくなった。ではなぜ隠したのか、妊娠させられないためだ。性器を晒していれば強引に妊娠させられる可能性が高くなる。一旦妊娠させられれば一年近くに亘って不自由な生活を強いられる。こんな不都合を避けるために女性は性器を隠した。これは貧民街で一万円札を見せびらかさないのと同じことであり大切な物を守るためだ。
 動物の種族内淘汰において重要な要素は機能性と美だ。ところが一旦隠すようになると外見による淘汰が働かなくなる。美という淘汰要因が働かなければ変な格好の性器を持つ人も機能性さえ高ければ淘汰されない。その結果として多くの人が醜い性器を持つようになりそれを見せることが恥ずかしくなった。
 男性の場合は違った事情だ。多分戦いで有利になるために隠したのだろう。睾丸を鍛えることはできない。目と並ぶ鍛えられない急所だから相手の攻撃から守る必要がある。どの格闘技でも金的と目突きは反則だが戦闘や喧嘩にルールは無い。
 ペニスも弱点だ。ペニスを相手に掴まれたら身動きが取れない。それは小指を掴まれるようなものだ。細くて強度の乏しい部位は引きちぎられる恐れがある。
 男性性器は戦闘で不利にならないために隠された。しかし一旦隠されると女性性器と同様、外見による淘汰が働かなくなり機能性一辺倒の奇妙な形へと進化する。こうしてみっともない形になったから見せるのが恥ずかしくなった。
 恥は二次的・三次的な感情だ。先天的なものではないので原理とはなり得ない。