俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

限界

2013-01-13 10:41:47 | Weblog
 できないことはできないと認めねばならない。できないことにチャレンジしても構わないが、無謀なチャレンジを「無謀である」と認めないことは愚か者であることの証拠にしかならない。
 人は真理を知ることはできない。そもそも正しく知覚することさえできない。人類の視覚は赤から紫までの「可視光線」しか知覚できない。ところが赤外線や紫外線を知覚できる動物もいる。赤外線や紫外線は存在するのに人類には知覚できない。それがどんな「色」なのか想像することさえできない。これが人類の視覚の限界だ。
 より厳密にはA氏とB氏が同じ色を見ている訳でさえない。それどころか同じ人でも条件が変われば見える色も変わる。薄暗い場所では色の識別能力は乏しくなるし、同じ色でも周囲が明るい色なら暗く、暗い色なら明るく見える。
 歳を取ると目の水晶体が濁る。そのために若い頃よりも世界がくすんで見える。色を識別するためにはより大きなコントラストが必要になる。これは耳の遠い人が大きな音を必要とするのと同じことだ。
 医療にも限界がある。最終的には自然治癒力に頼らざるを得ない。現代医療に可能なことは自然治癒力が最も働ける環境を作ることだ。手術や薬は自然治癒力を支援するために使われるべきであり、独力で治療できるなどと思い上がったことを考えるべきではない。
 科学にも限界がある。天気予報が可能なのはせいぜい3日後までだ。1週間後の予報は山勘に近い。地震予測は天気予報よりも難しい。天気予報は既に起こっていることの推移の予報だが、地震予測は未だ起こっていないことの予測だから大抵外れる。11日に政府の地震調査委員会が懲りもせずに新しい地震予測を発表したが、科学の限界を知らない、あるいは無視した無責任な発表だ。最早イソップ寓話の「狼少年」のレベルだ。科学の名に値しない恥曝しだ。

泡沫候補

2013-01-13 10:07:41 | Weblog
 岐阜県知事選挙に日本共産党が対立候補を擁立した。その結果、今月27日に知事選挙が行なわれることになった。一方、山形県では現職知事の無投票当選が決まった。これによって当初予算に計上されていた選挙費用の5億5,800万円の大半が浮いた。
 未曾有の財政危機と言われている岐阜県でなぜこんな無駄な選挙が行なわれねばならないのだろうか。もし無投票当選なら5億円ほどの余剰金が生まれるだろう。こんな結果の分かっている無駄な選挙に税金を使うべきではない。
 日本共産党(以下「日共」)は普通の政党ではない。政党と言うよりも宗教団体に近い。共産主義という教義を広めるために布教活動をしているようなものだ。
 他の政党との一番の違いは民主主義を否定していることだ。いまだかつて日共が「一党独裁」という根本理念を撤回したとは聞いていない。民主主義を否定する党が立候補させる理由は1つだけだ。党の主張のための広報・宣伝活動として利用するためだ。岐阜県知事選挙でも勝つことなど考えていない。県に5億円を使わせて日共の宣伝をさせることが唯一の目的だ。
 立候補ほど安価な宣伝手段は無い。当選の可能性が0の泡沫候補を立てるだけで公費で宣伝活動ができる。有効投票の1/10以上を獲得できなければ知事選なら300万円の供託金が没収されるがその100倍以上の宣伝効果を見込めるし、候補者が2人しかいなければ本命に対する批判票だけで10%程度の得票率ぐらい誰でも得られる。こうやって選挙は日共の宣伝活動に利用される。
 日共の宣伝のために5億円も無駄遣いさせられる岐阜県民は気の毒だ。立候補の自由は守られるべきだが、それを悪用する組織に対しては何らかの制裁が必要だろう。