できないことはできないと認めねばならない。できないことにチャレンジしても構わないが、無謀なチャレンジを「無謀である」と認めないことは愚か者であることの証拠にしかならない。
人は真理を知ることはできない。そもそも正しく知覚することさえできない。人類の視覚は赤から紫までの「可視光線」しか知覚できない。ところが赤外線や紫外線を知覚できる動物もいる。赤外線や紫外線は存在するのに人類には知覚できない。それがどんな「色」なのか想像することさえできない。これが人類の視覚の限界だ。
より厳密にはA氏とB氏が同じ色を見ている訳でさえない。それどころか同じ人でも条件が変われば見える色も変わる。薄暗い場所では色の識別能力は乏しくなるし、同じ色でも周囲が明るい色なら暗く、暗い色なら明るく見える。
歳を取ると目の水晶体が濁る。そのために若い頃よりも世界がくすんで見える。色を識別するためにはより大きなコントラストが必要になる。これは耳の遠い人が大きな音を必要とするのと同じことだ。
医療にも限界がある。最終的には自然治癒力に頼らざるを得ない。現代医療に可能なことは自然治癒力が最も働ける環境を作ることだ。手術や薬は自然治癒力を支援するために使われるべきであり、独力で治療できるなどと思い上がったことを考えるべきではない。
科学にも限界がある。天気予報が可能なのはせいぜい3日後までだ。1週間後の予報は山勘に近い。地震予測は天気予報よりも難しい。天気予報は既に起こっていることの推移の予報だが、地震予測は未だ起こっていないことの予測だから大抵外れる。11日に政府の地震調査委員会が懲りもせずに新しい地震予測を発表したが、科学の限界を知らない、あるいは無視した無責任な発表だ。最早イソップ寓話の「狼少年」のレベルだ。科学の名に値しない恥曝しだ。
人は真理を知ることはできない。そもそも正しく知覚することさえできない。人類の視覚は赤から紫までの「可視光線」しか知覚できない。ところが赤外線や紫外線を知覚できる動物もいる。赤外線や紫外線は存在するのに人類には知覚できない。それがどんな「色」なのか想像することさえできない。これが人類の視覚の限界だ。
より厳密にはA氏とB氏が同じ色を見ている訳でさえない。それどころか同じ人でも条件が変われば見える色も変わる。薄暗い場所では色の識別能力は乏しくなるし、同じ色でも周囲が明るい色なら暗く、暗い色なら明るく見える。
歳を取ると目の水晶体が濁る。そのために若い頃よりも世界がくすんで見える。色を識別するためにはより大きなコントラストが必要になる。これは耳の遠い人が大きな音を必要とするのと同じことだ。
医療にも限界がある。最終的には自然治癒力に頼らざるを得ない。現代医療に可能なことは自然治癒力が最も働ける環境を作ることだ。手術や薬は自然治癒力を支援するために使われるべきであり、独力で治療できるなどと思い上がったことを考えるべきではない。
科学にも限界がある。天気予報が可能なのはせいぜい3日後までだ。1週間後の予報は山勘に近い。地震予測は天気予報よりも難しい。天気予報は既に起こっていることの推移の予報だが、地震予測は未だ起こっていないことの予測だから大抵外れる。11日に政府の地震調査委員会が懲りもせずに新しい地震予測を発表したが、科学の限界を知らない、あるいは無視した無責任な発表だ。最早イソップ寓話の「狼少年」のレベルだ。科学の名に値しない恥曝しだ。