俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

最寄品

2013-01-27 10:25:01 | Weblog
 昨年のコンビニの売上高が9兆円を超えて史上最大になった。一方でスーパーの売上高は12.5兆円で既存店ベースでの売上高は16年連続での前年割れだそうだ。
 私はローソン100以外のコンビニは殆んど利用しない。高いからだ。多分デパートよりも高い。つまり日本で最も高価格で売る店だろう。低価格志向が続く日本でなぜこんな業態が成長しているのだろうか。多分、大手スーパーの戦略の副産物だろう。
 1970年頃がスーパーの最盛期だったのではないだろうか。大手・中小のスーパーが続々と誕生した。消費者は最寄品を地元の小売店ではなくスーパーで買うようになり中小の小売店は没落した。ところがバブル経済の90年頃から大手スーパーが地価の高い市街地の店舗を閉鎖して地価の安い郊外店を増やすようになった。すると消費者は自動車でわざわざ出掛けなければ買物ができなくなった。最寄品の筈の日用品が買回り品になってしまった。困ったのは買物弱者と呼ばれる高齢者だ。以前利用していた商店街はシャッター通りと化しているから日用品が買えなくなる。ここで俄然注目されたのがコンビニだ。コンビニが淘汰された地元商店の代役となった。だから田舎のコンビニには老人が多い。
 要するにスーパーが地元の小売店を駆逐して、そのスーパーが郊外へ出て行ってしまったから田舎の市街地では最寄品が買えなくなった。そのニッチを埋めたのがコンビニという訳だ。
 私が今住んでいる伊勢市も含めて地方の中小都市では地場のスーパーが意外と元気だ。これは地元の小売店が廃業して大手スーパーは郊外へ出て行ったから市街地に商業空白地が生まれ、それをコンビニと地場のスーパーが埋めているのだろう。もし大手スーパーが市街地回帰を図れば淘汰されるのはコンビニと地場スーパーだろう。

道徳

2013-01-27 10:03:29 | Weblog
 「水からの伝言」というオカルト本が小学校の道徳の教科書として使われたことがあった。「ありがとう」と書いた紙を貼った水にはきれいな氷の結晶ができて「ばかやろう」と書いた水ではきれいな氷にはならないという馬鹿馬鹿しい内容の似非科学に基いた本だ。
 3年前に「トイレの神様」という歌が流行った。「トイレをきれいに掃除すると‘べっぴんさん’になれる」と教えた祖母を慕う歌だ。
 なぜこれらは共感を呼んだのだろうか。それは多くの人が道徳を正当化したいと考えているからだ。根本には「道徳を守るための嘘なら許される」という思いがある。言い換えれば「道徳を守るためなら嘘を総動員しても構わない」ということだ。
 子供に道徳を教えることは難しい。道徳教育を施したい人は地獄とか神とか転生とかいったデタラメを捏造してでも道徳を権威付けようとする。
 嘘は絶対に悪いことだ、などと言いたい訳ではない。嘘は不必要だと言いたい。正直に、「ありがとう」という言葉を使えば人間関係が円滑になる、とか、トイレの掃除は大切だ、と教えれば済むことだ。これらのことを権威付けるための嘘は必要ない。
 嘘に基いて道徳を正当化しようとすることは「目的のためならどんな手段を使っても構わない」という困ったメッセージを伝えることになる。このことのほうがずっと軽率で反倫理的な行動だろう。