俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

言論の無責任

2013-01-22 10:43:11 | Weblog
 中国のような言論統制は困るが日本のような言論の無責任も迷惑だ。政治家でさえ言論の責任が問われているのに科学者のグループは平気で誤った情報を垂れ流す。
 昨年末には地震予測や清涼飲料水脳梗塞原因説などが大きく報道されて素人にも分かるデタラメぶりに呆れたものだ。古くはダイオキシンや環境ホルモンなどによる空騒ぎがあった。なぜ科学者はこんな放言を繰り返し、マスコミは虚報を連発するのだろうか。双方の無責任体質が原因だろう。
 科学者の側ではあくまで「仮説」だと主張するだろう。仮説を発表することは自由であり、それは学会で検証されるべきものだ、それを馬鹿騒ぎするマスコミが悪い、と責任を負わない。
 マスコミの側では、発表があったということは事実でありその内容が事実かどうかは今後学者が検証すべきことだとしてこちらも責任を負おうとしない。
 科学者には悪しき成果主義が蔓延っている。問題の地震調査委員会の場合は政府から金が出されているのだから何かを発表して働いていることを顕示せざるを得ない。たとえデタラメであろうとも何も発表しないよりはマシと考えているのだろう。
 マスコミは話題性を狙って非常識な内容ほど喜んで報道する。「犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛んだらニュースになる」という悪しき思想が科学報道にまで浸透して猟奇的になっている。
 これほどまでにデタラメが横行し続けていれば国民は科学もマスコミも信用しなくなってしまうだろう。

木と森

2013-01-22 10:21:24 | Weblog
 こんな社長がいるそうだ。一人の時は社長室の照明を点けずに電気スタンドを使う。二人でもスタンドの灯りだけ。三人以上集まったら初めて照明を点ける。社用車は廃止して電車かタクシーを使う。
 本人は倹約を率先垂範しているつもりだろうがただのケチだろう。経費削減は様々なレベルがあり、これは経営者のレベルではなくせいぜい係長のレベルだろう。こんな人が社長では社員が可哀想だ。
 経営者は社員の生活を預かっている。業績が良ければ社員の処遇も良くなるのだから経営責任は重大でありその自覚を持たねばならない。そんな立場の人は自分の身辺の些細な節約ではなく大きな視野を持たねばならない。
 「木を見て森を見ず」という言葉がある。森を育てるためには個々の木ばかりを見ていてはならない。「森」として捕らえて森を育てるために間伐などを行なって森を育てる仕事をせねばならない。経営者が木しか見られなければ森は滅ぶ。
 ご存知の人も多いだろうがアメリカのコダック社は倒産した。一方、日本の富士フィルムは健在だ。この違いはどこにあるのだろうか。コダックは多分カメラ・フィルム事業に固執したのだろう。一方、富士フィルムは「写真」という商品ではなく、自らの持つ技術を生かそうとした。今の富士フィルムの業績の9割以上が非写真事業だろう。こういう経営判断をするのが経営者の仕事だ。社員と同じレベルの経費削減しかできない社長は会社を滅ぼすダメ社長だ。大きな視野を持てない人は細かいことにしか注目できずそのことによって自らの小人物ぶりを証明する。