年末から年始にかけてたまたま2人の医師と個人的に話す機会があった。いい機会なので日頃の疑問をぶつけてみた。それは風邪に解熱剤は必要か、ということだ。2人とも風邪薬が有害であることを認めた。しかしそれでも処方するとのことだった。それは患者がそれを希望するからだ。
患者としては今の不快感を緩和してほしいから病院を訪れる。医師はクライアントの要求に応える義務がある。長期的には無意味・有害であろうとも患者の要望に沿わざるを得ない。
これは肥満体の人が大盛りのメニューを頼むようなものだ。食堂側としては大盛りが彼の体に悪いと思っても断ることはできない。そんなことをすれば喧嘩になってしまう。
良心ある医師にとってこれは大きなジレンマだ。患者は対症療法を求めている。医師は対症療法が無意味・有害と分かっていても患者の期待に応えざるを得ない。もし患者の期待に応えなければ藪医者との悪評を立てられるかも知れない。
客観的には解熱剤を使わないほうが正しくても患者の主観世界では症状を緩和することが最優先だ。主観と客観が対立すれば主観が勝つ。
誤った医療をやめるためには患者が正しい知識を持たねばならないと痛感せざるを得なかった。正しいことよりも「正しいと思われている」ことのほうが優先される社会だからだ。
患者としては今の不快感を緩和してほしいから病院を訪れる。医師はクライアントの要求に応える義務がある。長期的には無意味・有害であろうとも患者の要望に沿わざるを得ない。
これは肥満体の人が大盛りのメニューを頼むようなものだ。食堂側としては大盛りが彼の体に悪いと思っても断ることはできない。そんなことをすれば喧嘩になってしまう。
良心ある医師にとってこれは大きなジレンマだ。患者は対症療法を求めている。医師は対症療法が無意味・有害と分かっていても患者の期待に応えざるを得ない。もし患者の期待に応えなければ藪医者との悪評を立てられるかも知れない。
客観的には解熱剤を使わないほうが正しくても患者の主観世界では症状を緩和することが最優先だ。主観と客観が対立すれば主観が勝つ。
誤った医療をやめるためには患者が正しい知識を持たねばならないと痛感せざるを得なかった。正しいことよりも「正しいと思われている」ことのほうが優先される社会だからだ。