俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

フォーム

2013-01-29 14:11:03 | Weblog
 同じコースに他人がいるほうが早く泳ぐということをこれまでに2度書いたが(「競争社会」と「競争する男」)、必ずしも正しくなかったようだ。競争するから早くなるだけではなく実際にフォームが良くなっていることに最近気付いた。
 こういう事情だ。クロールで私は右側で息継ぎをする。プールは右側通行なのでコースを共用する場合には左側に気を付けねばならない。そのために普段よりも大きく体を左に捻る。これが実はフォームの改善になっていた。
 クロールが他の泳法よりも早いのは推進力が大きいからではない。抵抗が小さいからだ。前から後ろに掻いた手を前に戻す動作をリカバリーというが、平泳ぎではこれを水中で行なうので大きな抵抗が生じる。平泳ぎのリカバリーを空中で行なうために考案されたのがバタフライだ。しかしバタフライは上下動が大きいのでクロールよりも抵抗が大きくなる。クロールは体を左右に捻ることによってリカバリーを行なう側の肩を空中に出して抵抗を減らす。
 怠け者の私は動作を最小限にしようとする。それが捻り不足に繋がっていた。つまり左肩の一部が水没したままでリカバリーを行なっていた。左側を見ようとすれば左への捻りが大きくなりそれがフォームの改善になっていた。
 心理的と思われたことが科学的に分析できるとスッキリする。人間は非合理な動物だがその非合理性には何らかの根拠がある。非合理性を否定するのではなく、非合理の合理性に注目したいものだ。

二重の嘘

2013-01-29 13:52:10 | Weblog
 最近、地球温暖化という言葉を聞かなくなった。これを似非科学だと思っている私にとっては好ましいことだが、なぜ騒がれなくなったのかを考えてみることは無駄ではなかろう。
 第一に考えられることは「それどころではない」ということだろう。日本では電力が足りない。実際にこの冬の北海道ではかなり厳しい節電に取り組んでいるようだ。そんな時に火力発電を否定するような発言は慎むべきだということだろうか。
 もう1つはCO2排出を抑制するメリットが無くなったということだろう。CO2を減らせと騒ぐことによって利益を得る人が地球温暖化の恐怖を煽るスポンサーになっていたのではないだろうか。ではその利権には誰が群がっていたのだろうか。1に原発、2に持続可能エネルギー(巷では「再生可能エネルギー」や「自然エネルギー」と呼ばれることが多いがこれらの言葉は正しくない)、3に低燃費自動車、4に省エネ家電などではないだろうか。2~4については今も有効だが原発は今なお再稼動のメドさえ立たない。原発という大スポンサーが無くなれば地球温暖化は問題にされなくなるようだ。
 しかし原発はCO2の削減に本当に有効なのだろうか。火力発電のコストは燃料費が8割・建設費が2割と言われている。一方、原発の場合は燃料費が2割で建設費が8割だそうだ。原発のラニングコストは安いが建設費は途轍もなく高い。つまり施設のための鉄やコンクリートおよびその工事のために大量のCO2が排出されるということになる。これでCO2の削減になるのだろうか。原発がCO2を削減しないのなら、地球温暖化という虚構のために原発を推進することは二重の嘘になる。