俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

怒りの心理学(2)

2013-02-06 09:33:06 | Weblog
 怒りは意外なほど高級な感情と思える。
 怒りは決して単純な感情ではない。怒りは対象を選ぶ。喜哀楽は自然に対しても向けられるが怒りだけは人為的なものにしか向かわない。それだけ知性的とさえ言えよう。自然に対して怒るのは小学生ぐらいだ。
 怒りは当為(~すべし)に基く理性的感情だ。期待という判断基準に背く場合にのみ怒りは発動される。友人が約束を破ったり危ない運転で怖い思いをした時などの怒りは価値観に基いている。もし価値基準(~すべし)が無ければ怒らない。
 人間以外の動物に喜哀楽の感情はあるが、怒りだけは類人猿以外では殆んど見受けられない。猫は怒りのような動作を示すがただの威嚇ではないだろうか・
 人間の怒りは人と人工物にしか向けられない。機械や施設に対して怒ることはあっても、立ち木にぶつかって木に怒る人はいない。自分に対して怒る。
 このように怒りは人間特有の高度な感情であるにも拘わらずこれまで蔑視されて来た。怒りに関する本を探しても大半が「鎮めること」をテーマとしており、積極的に評価する本は殆んど見当たらない。不当に貶められている怒りを見直すべきだろう。怒りこそ最も強烈な感情であり、自らを犠牲にしてでも変革しようという損得を超越した稀有な感情だ。怒りを評価することはフロイトが性欲の価値を見出したことにも劣らないコペルニクス的転回とさえ思える。
 怒り散らせ、と言いたい訳ではない。怒りという感情が充分に知的なものであり、それを抑圧せずに意識化することが社会を変革するパワーとなり、同時に本人の精神衛生のためにも好ましいということを指摘したい。

円安バブル

2013-02-06 09:09:49 | Weblog
 もし満月になれば株価が上がると信じている人が5%いれば満月の度に株価が上がる可能性は小さくない。僅か5%であろうとも何かを信じる人がいれば全体に影響が及ぶ。但しこんなことは実際には起こっていないようだ。満月になれば株価が下がると信じる人が同数いればほぼ相殺されるからだ。
 ところが円安になれば株価が上がるということならどうだろうか。これは5%どころではない。30%ぐらいの人が信じているのではないだろうか。輸出が増える→国内産業が活性化する→企業の業績が良くなる→株価が上がる、と信じる。但しこれは危険なバブルだ。かつての土地信仰と同じ共同幻想だ。
 円安になると業績が悪化する企業もある。電力会社や外食産業や鉄道・タクシーなどだ。これらの企業は内需に依存しながら輸入資源に頼っている。収入は増えないのに支出だけが増える。従って業績は悪化する。円安は全産業にとっての追い風ではない。
 円安になれば株価が上がるというのは満月になれば株価が上がると信じるのと同じような幻想だ。それにも関わらず余りにも多くの人がこの幻想を信じているために幻想ではなく現実となっている。
 円安が必ずしも経済にプラスにならないと知っていても、多くの人がプラスになると信じているということを知っていれば、誤解に便乗する。そして上手く売り逃げする。損をするのは円安をプラス材料と信じ切っていた人だ。
 多くの人がそう信じていればそれは社会を動かす力となる。しかしそれが正しいとは限らない。17世紀のオランダのチューリップバブルや日本の土地・株バブルのようにあとになってから「バブルだった」と気付く。