俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

羊の群

2013-02-14 10:09:22 | Weblog
 学校でアンケート調査をするといじめや体罰の報告が続々出て来る。それだけいじめや体罰が隠蔽されていたということだが、疑問を感じないだろうか。なぜアンケートをすると問題点がゾロゾロ出て来るのだろうか。それまでは見て見ぬ振りをしていたということではないだろうか。
 勇気を持っていじめや体罰に立ち向かえ、などと言う気は全く無い。下手に関わったら自分がいじめや体罰の対象にされるかも知れない。このことは学校であろうと社会であろうと同じだ。
 社会のほうがまだマシだ。暴力を止める人は殆んどいないが通報する人は大勢いる。だから社会においては暴力は容認されていない。
 本来なら学校のような閉鎖された社会のほうが不正の摘発は有効な筈だ。加害者は身近におりいつ自分が被害者になるか分からない危険な状態だ。これは危険人物が隣に住んでいるようなものであり危険は告発されて然るべきだ。
 生徒がなぜこれまで通報しなかったかではなく、なぜアンケートでは大量の告発が現れるのかを考えたほうが良かろう。多分、彼らは正義の味方になったつもりなのだろう。告げ口は卑しいがアンケートで答えるのは正しいという奇妙な倫理観があるようだ。つまり単独行動は悪で群行動は善ということだ。これは衆愚そのものだ。生徒とは飼い馴らされた羊のようなものらしい。そしてそんな羊を大量生産することが現在の教育システムの狙いなのだろう。

単純化

2013-02-14 09:48:20 | Weblog
 私は数学や科学の考え方が好きだが時にはそれを否定したくなる。余りにも単純化し過ぎるからだ。社会は勿論のこと、個人でさえ複雑な要因で動くから単純な因果論には疑問を感じる。
 例えば福島第一原発はなぜ重大な事故を起こしたのだろうか。第一に地震の想定が甘かったと言えよう。第二に構造的な欠陥だろう。予備電源が地下にあったことなどが挙げられる。第三に当時の菅首相が大切な初期対応の邪魔をしたことを私は挙げる。第四に・・・・・と無数に原因らしきものが挙げられる。多分どれか1つでも無ければこんな悲惨なことにはならなかっただろう。
 実際の話、落下運動でさえ法則通りにはならない。空気抵抗や風などの影響を受けるからだ。理想状態でしか落下の法則は成立し得ない。
 医学や栄養学はもっと複雑だ。薬や食品の効果は非常に複雑でメリットもデメリットも常にあるし個人ごとの個体差も大きい。万人に共通な健康法などあり得ない。
 単純要因に還元することを科学的と思っている人がいるがそれは誤りだ。説明のためには単純化が必要だが実際のことは殆んどが複雑なものだ。単純化することは非科学的とさえ思える。
 一時期だが科学の世界でファジー(曖昧)という考え方が流行ったことがある。最近この言葉を聞かなくなったのはファジーの正体が複雑性だと分かったからではないだろうか。ファジーと思われたものの大半が曖昧性が原因ではなく複雑な要因が絡み合っていたことが証明されたのではないだろうか。