俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

オリンピック

2013-02-16 09:04:08 | Weblog
 オリンピックの理念は「より速く、より高く、より強く」ではないだろうか。より速くは100m走であり、より高くは多分走り高跳びであり、より強くはレスリングを指す。この「より強く」を放棄することは理念の否定だ。
 IOC(国際オリンピック委員会)がなぜレスリングを競技種目から外そうとするのか全く理解できない。最古とも思える競技の否定は歴史の否定だ。野球やテコンドーなどとは違ってレスリングは最も歴史のある国際的なスポーツだ。ロンドンオリンピックでのメダル獲得国数を見れば何と29ヶ国だ。決して日本のお家芸などではない。
 マスコミではロビー活動の不足が指摘されている。ではこのロビー活動とは一体何だろうか。時代劇の農民のようにお上に直訴することだろうか。そんなものではなかろう。多分、現ナマだろう。要するに上納金が少ないから罰したということだと思う。IOCに対する上納金は多分ルール通りに納められているだろうから、足りないのは理事個人に対する賄賂だろう。
 勿論、証拠は無い。しかし余りにも理不尽だ。こんな暴挙に対して怒るべきだ。最も期待したいのはIAAF(国際陸連)による抗議だ。レスリングを追放するのなら、最古の競技である陸上競技とレスリングだけで別の世界大会「クラシックオリンピック」を行なうと脅迫すべきだろう。やられたらやり返すという鉄則どおり、腐ったIOCの暴挙には暴挙で報いるしか無い。そうでもしなければIOCの我儘を容認することになる。IOCの理事を付け上がらせていたらオリンピックが無茶苦茶にされてしまう。

事実に基く

2013-02-16 08:36:39 | Weblog
 事実に基くことに拒絶反応を示す人がいる。彼らは「現実は醜く理想は美しい」と主張する。私は彼らの主張する理想こそ醜悪なものだと考える。
 勿論この世界が完璧だなどと言うつもりは無い。不条理だらけだ。それでも彼らが理想として掲げる愚劣な世界よりずっとマシだ。
 人の美しさは皮膚一枚でありそれを剥げば化け物になる、体内には汚物が充満している、人には悪意がある、男女の性器は醜い。これらを私は事実として認める。これらの事実を拒絶して虚妄の世界を讃美することは現実世界に対する呪詛でしかない。充たされなかった彼らの欲望の裏返しに過ぎない。この呪詛こそ醜い。無いものを捏造して在るものを否定すべきではない。
 「詩と真実」と訳されているゲーテの著書がある。このタイトルを「詩こそ真実」と解釈する人がいる。しかしこの原題は`Dichtung und Wahrheit'であり私なら「虚構と真実」あるいは「嘘と事実」と訳する。
 日本語の「小説」は意味のよく分からない単語だが英語ではnovelともfictionとも言う。fictionはfact(事実)の反意語でありfictionでないものがnonfictionだ。
 日本語では虚構が美しく飾られ過ぎている。「小説」とか「詩」とかいった名称はその虚構性を隠蔽する。これこそ虚飾だ。事実に基くものと事実に背くものは明確に区別されねばならない。価値が高いのは事実に基くものであり事実に背く妄想こそ最も醜い。理想という仮面を被った怨念だ。