俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

マジョリティ

2013-02-28 09:26:32 | Weblog
 日本には3つの領土問題がある。歴史的に考えて最も確実に日本領と思えるのは尖閣諸島で、次は竹島、そして最も疑わしいのは北方領土だと私は考える。北方領土をロシア領と主張すれば非国民呼ばわりされそうだ。「終戦」のドサクサに紛れて不法占拠されたと考える人が大半だからだ。しかし日ロ間は実はまだ交戦状態だ。和平条約が締結されていないからだ。交戦中である限り軍事占拠は正当だ。私は和平条約と領土問題を不可分とするロシア側の主張を正当なものだと考える。
 こう前置きした上で17日の「バンキシャ!」での宋文州氏の発言のその後について書く。18日付けの「言論の弾圧」に書いたとおり、氏が「(隕石が)尖閣諸島に落ちてくれないか」と発言したのでテレビ局には抗議の電話が殺到したそうだ。その中には「メディアから締め出せ」という内容のものもあったらしい。
 こういうところにマジョリティ(多数者)の横暴さを感じる。多数者は気に入らない少数者の意見を抹殺することを何ら悪いこととは感じない。「我々多数者の意見=善、多数者にとって不愉快な意見=悪」と彼らは決め付ける。
 しかしその多数者の意見の正体は何だろうか。マスコミが報じることの受け売りであり、マスコミと同化することによって多数者の側に回っているに過ぎない。多数者の意見が誤った方向に向かっているのではないかと警告するのが少数者だ。
 私は決して「民主的」だから少数者の意見を尊重する訳ではない。マスコミに操られた多数者こそ最も危険だと考えるから金太郎飴のような世論を疑問視する。マスコミに操られて一丸となって戦争拡大へと向かった太平洋戦争の失敗を日本人は一向に反省していない。勝ち目の無い戦争の最大の責任者は好戦的な大衆とそれに迎合したマスコミであって、断じて軍部の暴走ではない。

確率

2013-02-28 09:03:27 | Weblog
 確率に関して人間には妙な癖がある。高い確率は低く、低い確率は高く補正してしまう。
 飛行機は99.99%安全だ。しかし90%程度しか安心できない。逆に墜ちる可能性は0.01%以下だ。それでも1%ほどの危険を感じる。宝くじが当る可能性は0.01%以下だ。これを1%ぐらい当ると感じる人がいてそんな人が宝くじを買う。これらは確率理論から考えれば不合理なことだ。しかし心理的には了解不可能ではない。高い確率は低く、低い確率は高く補正して感じるという特性があるからだ。
 どうやら人類の脳の基本プログラムは確実・不確実の2段階にしか予めセットされていないようだ。多少経験を積んでも確実・不確実・不可能の3段階でしか考えられず、確率論を理解して初めて無限段階で考えることができるようになるようだ。
 「羹に懲りて膾を吹く」という諺がある。これは2段階(危険か安全か)でしか考えられない人を3段階で考える人が笑っている。しかし無限段階で考える人から見れば3段階での思考も同様に滑稽で幼稚な考え方だ。
 安全率10%と90%では確率的には全然違った意味だ。しかし2段階思考や3段階思考しかできない人はどちらも「安全でない」と判定してしまう。「100%安全でなければ安心できない」という主張は全く不合理で非現実的だ。100%安全なものなどこの世に存在しない。ヒステリックにこんな主張をする人は確率論を勉強すべきだろう。そうでなければ無知な彼(彼女)のせいで社会が機能不全に陥る。危険と安全の間にはレベルが無限に異なるグレーゾーンが存在することを理解すべきだ。