俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

思考の自由

2013-03-02 08:52:37 | Weblog
 言論の自由は憲法21条で保証されているがもっと大切なことがある。思考の自由だ。こちらは憲法19条で「思想及び良心の自由」として保証されている。しかし人は思考を抑圧しておりそれが精神障害に繋がることがある。フロイトは性欲に対する抑圧を指摘したが怒りも抑圧されている。
 怒りこそ変革を促すパワーだ。だからこそ権力者は怒りを否定しようとする。怒りを下劣な感情と扱おうとする。国民を去勢して従順な羊にすることが彼らの狙いだ。
 もし本当に怒りが単に有害な感情だったらそんな感情を持つ人は淘汰されていただろう。淘汰されなかったのはそれだけ重要な感情であることの証明であるとさえ言えよう。
 怒りを強制的に抑え込むことは難しい。抑圧された怒りは捌け口を求める。権力者にとって重要な仕事は適切な矛先を作ることだ。アメリカは北朝鮮とイランを、中国と韓国は日本を、北朝鮮はアメリカを憎むことで国民に憂さ晴らしをさせている。
 翻って日本ではどうだろうか。どうやらマスコミに叩かせてそれに同調させることによって憂さ晴らしを提供しているように思えてならない。公務員バッシングや生活保護費の不正受給や北朝鮮・中国に対する偏った報道、これらは意図を持っているのではないだろうか。
 例えば生活保護費の不正受給の問題がいつの間にやら生活保護費削減の話に摩り替わる。これは福祉費を削減したい政府の意向に適ったものだ。
 怒るべき対象を見誤るべきではない。正しく怒ること、変革すべき方向を見失わないことが大切だ。
 マスコミの言いなりになって怒るべきではない。思考の自由の第一歩は正しい怒りだろう。権力者による陽動作戦に騙されていれば、怒りという大切な感情までも知らぬ間に彼らによって利用されてしまう。

空即是色

2013-03-02 08:27:40 | Weblog
 市川團十郎氏の辞世の句が発表された。「色は空 空は色との 時なき世へ」これをなぜ海老蔵氏が「イロはソラ・・・・・」とワザと間違えて読んだのかその真意は分からないが、この句が般若心経の「色即是空 空即是色」を踏まえていることは間違いない。
 色即是空は「この世の楽しみは虚しい」という意味だ。大半の宗教はこの世の虚しさを説く。パスカルも「パンセ」で頻りに「気晴らし(divertissment)」という言葉を使って「神なき人間の惨めさ」を強調する。これは宗教へと人を向かわせるためにこの世を呪詛する常套手段だ。
 仏教の場合ここから先が違う。色即是空の次に空即是色が来る。つまり「虚しさこそ悦びだ」という意味だ。この言葉から私はカミュの「シジフォスの神話」を想起する。シジフォスが受けた神罰は巨岩を山頂に運ぶことだ。しかし山頂に運ばれた岩はまるで生き物であるかのように転げ落ちる。これを未来永劫繰り返すことが彼の罰だ。しかし彼はそれを肯定してその作業を続ける。
 この世が無意味であろうとも自分にできることを精一杯やる。無意味な世界が永遠に回帰しようともニーチェのように「もう1度」と挑み続けること、これが「空即是色」だと私は解釈している。
 人生に意味など無くても一向に構わない。人生とは舞台だ。舞台の意味を求めることよりもいかに演じ切るかのほうが大切だ。それどころか誰かによって妙な意味を与えられることこそ断固拒否したいとさえ思う。