俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

都会と地方

2013-03-28 09:13:24 | Weblog
 1票の格差の違憲判決が相次いでいる時だからこそ敢えて逆の意見を書く。1票の格差はあるべきだ。そうでなければ都会と地方の格差は広がる一方だ。
 違憲との判決は正当だ。憲法や法律に従う限り1票の格差は認められない。だからこそ憲法も法律も改正されるべきだ。
 例えば沖縄の人口は約140万人で東京の人口は約1300万人だが、東京に沖縄の10倍の国会議員が必要だろうか。人数だけで決めれば地方は差別される。沖縄のように在日米軍基地などの特殊な事情を抱える地域が有権者数相応の発言権しか持てないのは悪平等だ。アメリカの上院の1票の格差は66倍もあるそうだ。これは州の代表と位置付けられているからであり、日本の国会議員も都道府県の代表と人口比例の代表という2種類があって然るべきだろう。
 マスコミは東京偏重だ。東京に豪雨や雪があればニュースは東京一辺倒になる。他地域の住民はニュースを見る楽しみが奪われる。これは権利の侵害だ。他地域の住民にとっては東京の降雪などニューヨークの降雪と同程度のニュースバリューしか無い。
 法律も都会偏重だ。飲酒運転の厳罰化は都会生活者の事情しか考えていない。電車のある都会人は外食店で飲酒をしても良いが電車の無い田舎者は家で飲めという法律は地方人に不便を強いる差別だ。
 何でも頭数で決めようとするのは多数者による横暴だ。人数だけで決めるのは決して民主主義ではない。人数は1つの重要な要素に過ぎずそれだけを基準にすべきではない。
 都会は地方に比べて圧倒的に便利だ。交通も買物も情報も娯楽も都会と地方では大きな差がある。これだけ優遇されていて地方と同等の1票の重みを要求するのは厚かまし過ぎる。単純に1票の価値を同等にすることは実は不平等の拡大だ。地方住民に対する軽視だ。

自己評価

2013-03-28 08:46:42 | Weblog
 自己評価は極度に主観的なものにならざるを得ない。マナーが悪いとか言葉遣いが悪いとかいった自己評価をすることは殆んどあり得ない。人は自分の価値基準に基いて行動しているのだから自分の行動に対して否定的な評価をしない。行動が招いた結果が悪かった時に初めて反省する。
 くわえ煙草で街を歩く男も電車で化粧をする女も、自分がマナーから外れた行動をしているとは思っていない。本人の価値基準においてはどちらも正当な行為だからだ。もしマナー違反を注意されたら逆ギレするかも知れない。言葉遣いにしても本人が最も使い慣れた言葉を使っているのだから、それを下品だとか乱暴だとか言われても承服できないだろう。
 それ以上に評価が難しいのは自分の匂いだ。人は自分の匂いを知覚できない。あるいは表情や仕種のような癖も自分では分からない。他人に指摘されて初めて気付く。
 一部の犯罪者も悪いことをしたとは思っていないのではないだろうか。家族を養うために万引きをすることはたとえ刑法上の犯罪ではあっても人道には背いていないと考えるのではないだろうか。
 更に困ったことに人は自己是認をする方向に情報まで歪めてしまう。自分の考えと合致することしか耳に入らず合致しないものは門前払いをしてしまって意識には届かない。人は自分の知りたいことだけを知るものだ。
 西洋人の70%が自分は平均より賢く明るく繊細だと考えているらしい。謙遜を美徳とする日本人はそこまで自信過剰にはならないだろうが、自己評価の高過ぎる人は周囲にとっては迷惑だ。
 その反面、自己評価の甘さは人を幸せな気分にさせる。正し過ぎる自己評価のせいで鬱病に苦しんでいる人もいるのだから、甘い自己評価は生存のために必要な性質なのかも知れない。
 正しく自己を評価することは難しい。自分のことは自分が一番よく分かっているなんて幻想だ。自分を知るためには他人の意見に頼らざるを得ない。