俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

軍事政権

2013-03-10 09:23:09 | Weblog
 金正恩第一書記は本当に独裁者だろうか。どうも違うように思える。ただの飾り物であり御輿のようなものだ。実権を握っているのは軍部だろう。
 例によってマスコミは誰かの言うことを垂れ流すばかりで実態を伝えない。北朝鮮は共産主義国家ではなく、建国以来ずっと軍事独裁国家だ。朝鮮労働党による一党支配なんてまやかしだ、ただの軍事政権だ。
 金日成が抗日戦の英雄として凱旋帰国したのは1945年10月のことだ。但し帰って来た伝説の英雄は偽者だった。本物の金日成は戦死したのかソ連によって殺されたのかは分からないが、確かなことは金日成に成り済ました男がソ連の支援を得て軍事政権を築いたということだ。
 金日成から権力を受け継いだ金正日体制も軍事政権だ。そして3代目の正恩氏も「大将」として引き継いだ。あくまで将軍から大将へと引き継がれたのであって、総書記から第一書記へと引き継がれた訳ではない。
 軍隊には特殊な価値観がある。武力を内外に誇示できなければ彼らは無用の長物として否定される。だから彼らは軍事的に不安定な状態を求める。もし安定していればわざわざ不安定にすることによって自らの価値を高める。
 こう考えれば昨今の不可解な行動も理解できる。北朝鮮はシビリアンコントロールを失った軍事独裁政権だから軍部の軍部による軍部のための政治が行なわれる。拉致も2010年の延坪(ヨンピョン)島への砲撃もミサイルも核兵器も、軍部の権力拡張のための行動であり、飾り物に過ぎない正恩氏にはどうすることもできない。
 中国が北朝鮮を見限ったのもこういう事情からだろう。中国は今のところ共産党主導だが、最も恐れているのは軍事クーデターと農民反乱だ。軍部独裁と共産党独裁は非常によく似ているだけに隣国のこの状況は許容できないのだろう。

できること

2013-03-10 09:00:39 | Weblog
 カントが「純粋理性批判」で明らかにしたことは、理性には限界があるということだ。つまり経験にしか依存できない理性には、経験のレベルを超える永遠や無限について考えることはできない、ということだ。カントはこれによって理性を否定した訳ではない。逆に、理性が到達可能な範囲を限定することによって、荒唐無稽でない哲学を可能たらしめた。
 我々は僭越にも、できないことをしようとする。永遠の進歩や無限の可能性があると信じたがる悪い癖がある。できることとできないことを区別しなければ無駄な努力を続けることになる。これは諦めではない、事実の承認だ。
 例えば100mを10秒以内で走ることを考えてみよう。99.9%の人には不可能だ。「いや、誰にでも可能性がある」と主張するなら勝手にしろ!できっこない。
 地震の予知も現在の科学では不可能だ。それを「できる」と主張して金を稼ぐのは詐欺師のようなものだ。現在可能なことは、将来に予知が可能になるための基礎研究に過ぎない。
 癌の治療もできないと思っている。早期発見をしてもその時点で既に転移しており手術後に必ず再発する。治療できるのは癌ではなく殆んど無害な良性腫瘍だけだ。
 老化を防ぐこともできない。機械が劣化するように人体も衰える。可能なことは老化を防ぐことではなく、鍛錬や節制などによって老化を遅らせることだけだ。
 できないことをできると信じれば詐欺師のカモにされるだけだ。できることとできないことを識別して、できないことは諦めて、できることに全力を尽くすべきだ。